5
辿り着いた先にあったのは、一軒の小さな家だった。そんなに頑丈に造られていないのは見たらすぐに分かる。あと何度か嵐が来たらきっと自壊してしまうだろう。
ラエスリールたちが見つけたそれは、その家の前で止まり、入り口らしきドアを開けた。
「罠かもよ?」
闇主が言う。
「上等だ」
罠なら罠ごと壊すまで。
何度戦っても、戦い方の要領を得ない彼女はそんな結論を導き出していた。それを言われなくても分かっている闇主は、はあっと大仰なため息をつく。
「護り手なら、護り手らしくしろ」
「はいはい。分かってますよ。闇主さん、模範的な護り手ですからね。ラスが言いたいことは何でも分かってるって」
いつ模範的だった時があるか。
よくまぁ、これだけ簡単に嘘がつけるものだと、ここまで来ると腹を立てるを通り越して、半ば呆れ、半ば感心してしまう。
「ともかく入るぞ」
ラエスリールはその家の中に一歩入った。
しかし、勢いはどこに行ったのか、一歩入った途端に絶句した。
入り口の近くに、十数人もの娘の遺体が無造作に置かれていたからだ。肉が腐り、骨が露出しているものもあったが、誰もが皆、苦痛の表情を浮かべていた。
「……」
「これが、あのオルズって奴が背負った罪」
気を悪くした風もなく、闇主が言った。
こんな山奥で、誰かに弔ってもらうこともなく、床に打ち捨てられている。
ラエスリールが紅蓮姫を抜いた。
斬魔の刀身が仄かに赤く光を発する。
――ご馳走?
問うてくるそれに些か脱力したくなりつつも、ラエスリールは身構えた。
「自分の食事ぐらい、自分で探せ、紅蓮姫」
言うと、喜々とした感情が伝わってきた。
家の中は外観以上に広さがあった。既にどう考えても家の外にいるだろう距離を歩いている。
「空間が歪められているんじゃない? こっちの世界に異空間を引っ付けているんだよ、きっと」
そういった話が苦手なラエスリールは混乱する。
「簡潔に分かりやすく言え」
「要は、家の中でありながら、家の中ではないって事」
ちっとも分からない。やっぱり、この男に物事の説明を頼むのは間違っているな、とラエスリールは思う。
やがて、2人を先導していたそれがとある扉の前で立ち止まった。
そして振り返る。
――オネガイ……
その声に、ラエスリールの体に緊張が走った。
この向こうに、対峙するべく者がいると知ったから。
「準備は?」
「できてる」
「上等」
にいっと闇主が笑った。
※
もし初めから全てが上手く行っていたら、こうはならなかったのだろう。
あの日、世界の全てに絶望したあの日、自分は自分の持てる技術を使って彼女を生き返らせたいと願った。
それだけだった。
彼女に似せた人形を作った。
それに彼女と同じ、エメラルド色の瞳を与えた。
幸い、彼女の魂はまだ消えずにこの辺りを彷徨っていた。
条件は、最良だったはずだ。
けれど彼女はその人形の体に馴染まなかった。
その人形は彼女になれなかった。
理由は、彼女に魔性を見抜く素質があったからだ。浮城の人間となる素質があったために、本能的に魂がそれになってしまうことを拒否したのだろう。
結果として不完全な形で人形に魂が宿ってしまった。
それでは、彼女たり得ない。
何か。
何か別の。
これ以外に別のものがいる。
それを考えた時に思い描いたのは、別の魂を宿すことで、足りない力を補わせることだった。
別の魂を入れるのならば、なるべく彼女に近い魂がいい。
彼女の親類…一つ下の妹がいい。
そう思い、彼らに妹を渡すように言ったのに拒否された。
しかし代わりに歳の近い娘を差し出すことは構わないと言われた。
まぁいい。
合わなければ、彼女を攫えばいいだけのこと。
そうして、差し出された娘の魂を人形に植えつけた。すると、不完全な人形は動くことができるようになった。
でも、すぐに後で植えつけた魂は疲弊し、壊れてしまった。
やはり妹でなければならないのか。
だから何度も何度も要求した。
そして何度も何度も妹以外の娘が差し出された。
何人もの娘が死んだ。
何度やっても彼女は不完全なままだった。
ついに、自ら動くことにした。
こうなったら、自分で取りに行く方が早いと思ったのだ。
どうしても、妹の魂でなければならないのだから。
きっと大丈夫。
妹も君を好いていたのだから。
だから。
※
「ソルフィー。なんで君はそんな奴らを……」
部屋に入ると、そこには気を失っているらしいアマリアを抱き、椅子に座っている妖貴がいた。しかしその顔は人のようにやつれ、疲れきっていた。
きっと、精神が外見に作用した結果なのだろう。
「うんわー。ぶさいくな顔」
闇主が横でそう罵るが、堪えない様子。
ラエスリールは自分の近くに立つそれ…妖貴が作った人形を見た。
「ソルフィー…? 彼女は死んだんじゃ……?」
オルズの話では2ヶ月前に死んでいるはずだ。
「そう。死んださ。でも、私が生き返らせた。あいにく完全ではなかったけれど、それも今日までさ。私はようやく最後の道具を手に入れたのだから」
「アマリアをどうする気だ?」
訊くと、フッと妖貴は笑った。
「知れたこと。ソルフィーを完全にする為に魂を差し出してもらうのさ」
その言葉に人形となったソルフィーがキッと妖貴を睨んだ。
「何故?!」
「何故……? もちろん、彼女を愛しているからさ」
「大勢の娘の命を犠牲にして!」
「……私がしたくてしたわけではないさ。私はアマリアさえ手に入ればそれで良かったのに、彼女の代わりに別の娘を差し出したのは村長たちだろう? それで攻められる筋合いはないな」
「正論だな」
うんうん、と闇主が頷いた。
「…お前はどっちの味方だ」
「ん? 俺はいつでもラスだけの味方」
何言ってんの、決まってるじゃない。
にこにこっと笑いながらそう言う彼に少しは場を弁えろと言いたくはなるが、そんなことを言っている場合ではない。
「……その体に完全に宿ることができれば、彼女は私が死ぬまでずっと生きていられる。ずっと傍にいられる。お前は願ったことはないのか? 大事な人が死に、その人が生き返ればいいと」
「あいにく私には、そうは思っても叶える力がない。お前のようなバカな事はしない」
妖貴はスッと目を細めた。
「……バカな事?」
彼は立ち上がる。アマリアを自分のいた椅子に座らせた。彼女は気を失ったままだ。
「お前に何が分かる?」
黒い瞳がぎらぎらと輝いている。
そこにあるのは狂気と憎悪と、それ以外の何か。
「力を持たぬお前に、何が分かる?」
ギッと睨むばかりのその顔に、ソルフィーは落胆したかのように睨むのをやめ、代わりに涙を流した。
ラエスリールには彼女が何に魂を入れられているのかは分からなかった。ただ、それは人の体の形をしていながら、人の体そのものではない。かと言って、魔性の体とも違うのだ。以前対峙したことのある小鬼の魂をいくつもその身に宿され、魔性となった女性と同じというわけでもない。
強いて言えば、何の気配も感じない。微かに魔性のようなそれを感じるものの、それはほんの微量であった。きっと、魔性に作られた何かに入れられたからそう感じるだけなのだろう。
彼女は一体なんなのか。
問えば闇主が答えをくれそうな気もしないでもないが、でも、今はそれを気にしている場合ではないだろう。
自分の前に敵がいて。
魔性に作られた紛い物の体だと言うのに、涙を流す彼女がいる。
――止メテ
悲痛な声が聞こえた。けれど、それは妖貴には聞こえなかったよう。
「魔性には良心なんてのはないんだけどなー」
だから仮に正気に戻る、というようなことが起こったとしても自分の行いを悔いるはずがない。そう、闇主は暗に言っていた。
「お前は黙ってろ」
やや顔を引き攣らせてラエスリールが言うと、「えー。嘘は言ってないよ」と呑気な声が返ってくる。
それを聞かなかったことにして、ラエスリールは妖貴をまっすぐに見た。
「……彼女が私にお前を止めてと言った。お前の気持ちは分からなくても、彼女の思いは分かっている。分かっているつもりだ」
ちきっと紅蓮姫を構えた。妖貴の心臓が見えた。それが見えたと同時に、驚き、声を失った。
彼にはもう、心臓が一つしか残っていなかった。
「闇主、アマリアを」
「やるの?」
その質問に、ラエスリールは闇主ではなくてソルフィーを見た。
彼女はエメラルドの瞳でラエスリールを見つめていた。
――イイノ…私モ、アノ人モ、コレ以上、イテハイケナインダワ
「どうしても、邪魔をすると言うのなら……!」
その言葉を言い終えるや否や、ラエスリールの影が、上に向かって伸びた。そしてそれが刃となって、彼女の体を引き裂く。
血が、ポタポタと床に落ちる。
「な……?」
予期せぬ方向からの攻撃に、ラエスリールは対処できなかった。
影を自在に操ると、そういうことなのか。
きゅっと唇を引き結んだ。
「……行く」
その合図と共に、彼女が駆け出した。
ラエスリールが駆け出すと同時に、力を使ってアマリアを自分のところに転移させた闇主。アマリアが微かに呻いた。
「……あいつが死んだらお前も死ぬけど、それでいいのか?」
闇主は興味なさそうにソルフィーに訊いた。目の前ではラエスリールが妖貴を相手に戦っている。
彼には、あの妖貴に見覚えがあった。
影糸術の使い手。紫紺の妖主、藍絲の配下の1人。名前を砂樹(さき)。
そこそこ術が使え、そこそこ実力のある妖貴だったはず。
それがあそこまでやつれて、見る影もなくなるとは。
よほど思いつめたのだろう。
その原因が、この人形の成り損ない。
死んだ人間を人形に固定することは、妖貴にとって大した技術がいるものでもない。むしろ、既に魂が体を離れているのだから、普通に影糸術を行うよりも簡単にしてしまうこともあるだろう。
けれど、彼女の魂はそれを良しとしなかった。
なんでなのかは彼には分からない。ただ、彼女は自らの死を受け入れていて、その後も生きることを受け入れられなかったと言うことだ。だからこうして半端な人形になってしまった。
ソルフィーはアマリアを見、その髪を一撫でしてから言った。
――私ハ私ヲ生キタモノ
その答えに闇主が彼女を凝視した。そして、肩の力を抜いて面白そうなものを見つけた、とばかりに笑みを浮かべた。
「気高いな。ラスがいなけりゃお前で遊んでたかもな」
――アナタハ……イイエ、死ヌ私ニハ、関係ノナイコトデスネ
「ああ。そうだ。お前はここであいつと一緒に死ぬ。それで満足なんだろう? 俺はそんな最期は嫌だけどな」
彼は心底嫌なのだという風に言い切った。
そんな彼を、ソルフィーはどこか憐れみを含ませた瞳を向けていた。
「闇主! 援護をしろ!」
伸びてくる自分の影を避けながら、ラエスリールが叫んだ。見れば左腕に新しい赤い線が走っている。
闇主はすっと手を砂樹に向けた。
直後に彼はバランスを崩した。
ラエスリールが最後の心臓を貫く。
砂樹が大きく目を見開いた。
体を床に打ちつける。
彼が紅蓮姫にその命を啜られながらも最後に見たのは、ソルフィーだった。
「私は、君を……」
きっと執念なのだ。
愛しさゆえの執着。
魔性ゆえの激しさ。
人よりも己の心に従順であるからこそ、傍にいる人の気持ちを汲み取る事ができなかったのだろう。
ラエスリールは消えていく彼を見ながら、それを感じていた。
闇主は遠くから、くだらないものでも見るかのように彼が死んでいくのを眺めていた。
ソルフィーが真っ直ぐに彼を見る。彼に近付く。近付くが、その距離は彼が彼女に触れることができない距離だった。
「……愛シテイタワ。ソレダケハ本当よ……だけど、」
唇が動いていた。瞬きをしている。
半端な人形だった彼女が、自分の意思でその魂を人形に定着させたのか。それとも創り手の死に反応して、朽ちていく人形の体と魂が一体化したのか。どれが作用したのか。それは分からなくとも闇主は、彼女の魂が人形の体に落ち着いたということは分かった。
砂樹が狂気の中で作り上げていた人形が完成し、完成した途端に、そのまま創り手に殉じようとしていることも。
「だけど、私は、たくさんの人を傷つけた貴方を許せない。そうさせてしまった自分も許せない。……私はね、砂樹。私の生をやり直す気はなかったわ。それは私が望んだ未来ではなかったけれど、選んだ未来だもの」
後悔など、砂塵もしなかった。
彼はあのまま、生きてくれると思っていた。
でも未来は、そうじゃなかった。
「私も、愛していたよ……愛し方を間違えたつもりはない」
消え入るような声で、砂樹はソルフィーに切々と語る。
「……そう、そうね。でも貴方は魔性で、私は人だった。違っていたのはそれだけだったわよね……それだけよ。それだけの、たったそれだけの差が、私に貴方への憎しみを作ったの」
「…ソル、」
砂樹が腕を伸ばした。
それは、彼女に触れることなく、ぼろぼろと崩れてしまう。
「私は貴方への憎しみを抱えたままもう一度死んで行く。それは私が貴方を止められなかったことへの罰。そして、憎まれながら死んでいくのが貴方に与えられた罰なんだわ、砂樹」
死に逝く者の言葉とは思えないほどはっきりと、彼女は言った。
ラエスリールはその、人とも魔性とも言えぬ彼女を見ていた。
紅蓮姫の先の砂樹が消え、彼女が崩れ落ちるまでずっと見ていた。
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