翌日。
 今日も空はどんよりと曇っていた。また降るかもしれない。
 ラエスリールは部屋でぼんやりと外の様子を見ていた。これと言ってやることもなく、また村人に会うのも気が引ける為、部屋に閉じこもっているのがいいだろうと思ったのだ。もちろん、家人に何か手伝いできることはないかと聞いたのだが、特にないと返されたという経緯もあってのことだが。
 村は深い森に囲まれていて、町の喧騒さから隔絶されているからか、とても静かだった。人々も魔性の事件があるから、外には滅多なことでもなければ外に出ない。魔性の前に家も何も関係はないはずだが、それでも気持ちの問題なのだろう。
 部屋の窓辺に椅子を置き、彼女はまた考えていた。
 どうやら被害に遭っているのは娘だけらしい。それも20歳前後の娘に限られている。もし妖鬼が人を襲うのであったら、そこまで選別することを考えるとかなり力のあるものの仕業であろう。人の姿に近いはずだ。
 条件を絞って攫うのは、好みの問題か。それとも、その条件が何かの目的の為に必要なのか。
 考えれば考えるほど、村長の死んだ孫娘のことが頭に浮かぶ。一度関連があるかと思ってしまうと、どうしても頭の中で切り離すことができない。
 だって、似ているのだ。
 魔性が攫う娘の条件と、死んだ娘の条件が。
 死んだ孫娘も20歳の娘だった。そして、昨夜食事の最中に聞いたことだが、やはり彼女が死んだ後に事件は発生したらしいのだ。関連性がないと考えるのがおかしいような状況。
「……?」
 窓の外を見ていたラエスリールは、視界の隅で何かが動いたのを感じた。窓から身を乗り出して外を見ると、村の通り道を少女らしき影が走っていく。
 こんな状況下で少女が出歩くとは思えない。それもただ1人で行くだなんて。
「…仕方ない」
 見えてしまった以上は、見過ごすことはできない。
 ラエスリールは壁に立てかけておいた紅蓮姫を腰に佩き、部屋を出た。
「あら? どちらに?」
 廊下には偶々掃除をしていたらしき使用人がいて、声を掛けられる。
「今、そこの道を走っていく影が見えた。こんな状況だ。少し様子を見てこようと思って」
「ああ、それなら心配は要りません。きっとアマリア様ですわ」
「アマリア?」
 オルズの末の孫娘で、毎日姉の墓参りに行くと言う?
「あの方は、いつもこのぐらいの時間にお墓参りに行くのです。そんなに時間はかかりませんし、お墓までは近いですからね」
「けれど、心配では?」
 言うと、使用人は辺りをきょろきょろと見てから、小声でこっそりとラエスリールに話す。
「……ここだけの話ですが、最近、アマリア様はおかしいのです。いるはずもないソルフィー様を見たとか、彼女が何か言いたげだったとか。妄想癖が出てきたようなのです。旦那様も奥様も、アマリア様を鬱陶しがられていらっしゃいます。彼女がいると家がピリピリしますの。ですから、しばらく外に出てくれているぐらいがいいのですわ」
「……」
「いっそのこと、魔性に襲われればいいのに、と奥様はおっしゃっておられますもの」
「……………一応、様子を見に行ってきます。それに、魔性を討ちに行くことはできませんが、村に来た魔性を追い払うことはできますので」
 それは、自身に害が及ぶ場合は依頼以外でも魔性と対峙することができるという規則からのもの。それぐらいならば許されるだろう。
「分かりました。お墓は家を出て右手の道を真っ直ぐ行けばすぐにわかると思います。お気をつけて、破妖剣士様。ですが、危険を感じたらすぐに引き返してくださいませね」
 静かな笑みを浮かべながら使用人はそう言った。





 昨日の雨の所為で所々に水溜りのできた道を進む。空は晴れる気配がなく、人々の笑い声が聞こえることもなかった。
 オルズの家を出て、右手の道をひたすらに真っ直ぐ歩いていた。
 歩きながら、色んなことを考えた。
 オルズの孫は全員で5人。うち1人は死んでしまったソルフィー。なので現在は4人いるはずだ。だが、昨夜の夕食の際、姿を見せたのは3人だった。アマリアが来なかったのだ。それなのに、家人は怒った風もなく、それどころか彼女の存在などないものかのように扱っていたのを思い出す。
 それはつまり、先ほどの使用人が語ったことが真実であると言うことなのだろう。
 時々足元で泥が跳ねていた。裾が軽く汚れているが、そんなのを気にしている気分でもない。
 やがて、ラエスリールは道の先に広場を見つけた。その広場の入り口に立つと、等間隔で丸い石が置かれ、その中のいくつかには花が添えられていた。
 どうやらここが墓地のようだ。
 その中に、一つの墓石の前に佇む少女を発見した。
 長い髪にワンピースを着ている。先ほど窓から見た少女だ。
 ラエスリールは彼女に近付いていく。少女は微動だにしなかった。
「……アマリア、さん?」
「誰?!」
 少女はキッと睨みながら振り向いた。その迫力に気圧される。まるで、傍による者は誰でも許さない、そんな感じだ。
「あなた、誰? この村の人間じゃないわね」
「私は、ラエスリール」
「……おじい様が言っていた、浮城の人?」
「ああ」
「浮城の人間が私に何の用?」
「その、こんな時に走っていくのが見えたから」
「それで追いかけてきたって言うの? あなた、私が家でどう思われているか知っていていながら追いかけて来たの?」
「えっと……」
 気の強そうな瞳がじっとラエスリールを捕らえた。
 しばらくアマリアは彼女を睨んでいたが、やがてフッと寂しげな顔をする。
「……ごめんなさい。あなたの所為じゃないの。最近、誰かと話すことがなかったから、八つ当たりをしてしまったわ。あなたは私を心配して来てくれたのでしょうにね」
「……」
「皆、私のことを変人だって言うわ。父様や母様もね。だから、あの家にいると息苦しくてつい、毎日ここに来ちゃうの」
「それが、あなたのお姉さんの?」
「ええ、そうよ」
 アマリアが少し微笑んだ。その表情にラエスリールはホッとする。まだ笑うことができるなら、大丈夫だろう。
 アマリアは視線を墓石に移した。ラエスリールもそれにつられて墓石を見る。そこにはソルフィー・ルースと刻まれていた。
「姉様は綺麗で優しい人だったの。あんな最期を迎えるなんて、誰も想像できないほどにね」
 ラエスリールは手を組んで、目を瞑った。
 アマリアは横でそれを見ていた。
「……ありがとう。姉様も喜ぶわ」
「お姉さんは、結婚する前に亡くなったとか」
「そう………姉様はね、結婚する前日に亡くなったの。そして結婚するはずだった日に葬式が行われて、婚約者が参列することなく、ここに埋められたわ」
「婚約者が……?」
 自分の妻になるはずだった娘が死んだのに、その人が葬式に参列しなかったと言うのか。ラエスリールは驚いて目を見開いた。アマリアは墓石をじっと見る。
「…行方知れずになったのよ。血だらけの姉様が村に運ばれて、その日の内にどこかに消えてしまったわ。もうそれっきり音沙汰も何もないの。酷い人よね」
 墓石の前には花輪が置かれていた。きっとアマリアが置いたのだろう。
 空はごろごろと低く唸り声を上げ始めた。そろそろ降り出して来るかも分からない。
「でも、姉様はあの人を深く愛していたし、あの人も姉様を深く愛していたわ。それだけはよく分かるの。だから、あの人はもしかしたら、姉様が埋められるのを見たくなかっただけかもしれないわね」
「あなたは、平気なのか?」
 オルズの話ではまだ姉の死を受け入れてないのだろうとことだった。だからラエスリールは彼女の言葉になんとなくそれとの矛盾を感じ、訊いてみた。
「……信じたくはないけれど、私はあの日、姉様がここに入れられるのを見たもの。私は別に姉様がまだ生きているとは思ってないわ。思ってないんだけど」
 アマリアが顔を俯けた。そして、ラエスリールの服を掴み、顔を上げる。懇願するかのようなその表情に、ラエスリールは眉根を寄せた。
「そうよ、姉様は死んだの。この下には姉様の体があるはずなのに、私、森の中で姉様を見たのよ。生前の姿の姉様を」
「……本当なのか?」
 こくんとアマリアは頷いた。
「幻覚なんかじゃない。ましてや妄想なんかでもないわ。私は姉様を見たの。いっそ禍々しいほどに美しい姉様をね。ねぇ、浮城の人ならあれがなんなのか分かるかしら。死者と同じ姿をする魔性はこの世界にいるかしら」
 その言葉を聞いてラエスリールは、この娘に妄想壁などないことを知る。この娘は正常であり、ちゃんと姉の死を見つめていた。そしてそれを見つめた上で、自分が見たものに恐怖している。
「私が今まで対峙してきた魔性の中にそんな事をする者はいなかったが……でも、上級の魔性は自在に姿を変えることができる。もしかしたら」
 妖鬼にそんな力はない。
 もし、魔性が死者の姿を纏うというのなら、妖貴だろう。
 妖貴だとしたら……自分はとんでもない所に来てしまったのではなかろうか。まさかこんな所でそんな者のことを考える羽目になるとは思ってもみなかった。
 つくづく自分の不運さを身に染みて感じるラエスリールだった。
「いるのね」
「可能性としては。でも、実際にそうなのかどうかは」
「いいえ。いることが分かればそれでいいの。情報がないことと、情報がある中で可能性として存在するのでは違うもの…………………また、雨が降りそうね。もう戻りましょうか? 話を聞いてくれてありがとう。少しだけすっきりしたわ。家ではこんなこと、話せないから」
 アマリアがラエスリールの服を放した。そして、数歩、家に向かって歩き出す。
「あそこは姉様がいなくなってからとてもピリピリしているの。まるで隠し事でもしているみたいにね」
 あそこ、とは彼女の家のことなのだろう。
「私が『森で姉様を見た』って言った後から、父様も母様も私を気味悪がって、いっそ魔性に襲われてしまえばいいって思っていることを知っているわ。兄様も姉様も、使用人も。皆それを隠さないの」
「……それでも戻るのか?」
「戻るわよ。あそこは私の家で………あそこにいる人は、私の家族だもの。こんなことぐらいで、村を出て行くなんてできない」
 彼女がそう言い終るや否や、また雨が降り出した。





「ああ、お帰りなさいませ、ラエスリール様。これをお使いください」
 まるで濡れてくるのを予想していたかのように、使用人が乾いた厚めの布を彼女に渡した。しかし、使用人が用意していたのは1人分で、彼女がラエスリールと一緒に帰ってきたアマリアに布を渡すことはなかった。
 まるで、そこにいないかのような扱い。
 ラエスリールはアマリアを見た。彼女はいつものこと、と平気な顔をしていた。
 こんなことって。
 ふつふつと心の奥底に怒りがこみ上げてくるのが分かった。
 ラエスリールは手渡された布をアマリアに渡す。
「私は、不便しないから」
 言えば闇主がどうかしてくれるだろう。濡れた髪や服を乾かすことぐらい、魔性ならば簡単にできるはずだ。
「お客さんにそんなことをさせられないわ。いいのよ」
 アマリアはにっこりと微笑んで、渡された布をもう一度ラエスリールの手に握らせた。
 そして、髪から水を滴らせたまま、廊下を歩いて行ってしまった。
 残されたラエスリールはその姿をじっと見た後、布に視線を落とし、使用人を見た。使用人は点々と落ちている雫を拭くのに集中していて、ラエスリールの視線をものともしなかった。
「……」
 ぎゅっと布を握って、そのまま何も言わずに彼女は貸してもらっている部屋に戻る為、廊下を歩いていく。
 使用人は顔を上げ、それを見た。
「……ラエスリール殿はどんな感じじゃ?」
「オルズ様……」
 いつの間にか、使用人の近くにオルズがいた。
 使用人は首を横に振る。
 それを見て、オルズは息を吐いた。
「何事もなければ良い。彼女が村を出るまでな」
「……大丈夫でしょうか?」
「気付かせるな。………多少睨まれても平然としていれば良い。それで、なんとかなるはずじゃ…………言ったのじゃろう?」
「…あの方は、相当腹を立てていたように見えますが?」
「恨まれるのは、慣れておるじゃろう?」
 なぁ、とオルズが言うと使用人は苦々しく笑いながら頷いた。





「何かあったの?」
 部屋に入るなり闇主はラエスリールに訊いた。
「……何も」
「その割にはかなり沈んでいるけど?」
 どこか面白そうに聞いてくるその青年を軽く睨むと、彼女は部屋にある椅子に座った。テーブルには、誰かが用意してくれたらしく、温かいお茶が用意されていた。
 本当に、計ったかのような準備の良さに些か気持ち悪いものを感じる。
「濡れてるね、ラス。乾かしてあげようか?」
「………頼む」
 言うと、「任せて」と彼が返事をする。そして彼の手が髪に触れると瞬く間に濡れていたもの全てが乾いた。
 ラエスリールはしばらくぼうっとテーブルを見た後、そこにあるポットからカップにお茶を注いだ。
 甘い匂いがする。普段なら、ここまで甘いものはあまり口にしないのだが、今はそんな事を気にするゆとりが心の中になかった。
 忘れかけていた傷がずきずきと痛んだ。
 誰にも必要とされなかった頃につけられた傷が疼いて、心の中で血を流している。
 痛い。
 痛いけれど、その痛みを口にしたところで、誰にその痛みが分かるというわけでもない。
 この痛みは自分だけの痛みだ。似たような痛みを抱える者がいたとしても、それは自分とはきっと違う痛みだろう。
 彼女の痛みは、彼女だけのもの。
 自分の痛みとは違う。
「……心の傷は、どうして癒せない?」
「誰かのことを全て理解できる存在がいないからじゃない? 誰にだって踏み込めない領域があるからね」
「アマリアは……」
 何も、悪くないはず。
 ただ姉の姿を見たと言うだけで、あそこまでされなくてもいいのではないのか?
 口に出すことはなかったけれど、闇主はラエスリールの気持ちを見透かしたように言った。
「……何が悪いかなんて、人それぞれでしょ? 俺にとってラスは魅力的でも、誰かにとっては恐怖であるみたいにね」
「それは私が……!」
 自分が魔性の血を引くから。
 人ならざる者の血を引いてしまっているから。
 闇主はぽん、とラエスリールの肩に手を置いた。
「人は魔性より複雑だからね。あんまり考え詰めるのはよくないよ? ラスが今考えるのは、無事に浮城に帰ることだけ。それだけでいいじゃない」
「……だけど」
「ラス。抱えられる問題と抱えられない問題の境はちゃんと見極めなきゃ。偶には見て見ぬ振りをするのも大事だよ?」
「私は、」
「ラスは優しすぎるんだよ。だからこれ以上の深入りはやめたほうがいい。ただ、……もう少し体に肉をつけるべきじゃないかって問題はもっと深く考えて欲しいけどね」
「……お前は」
 どうしてそう、最後の最後で話の腰を折るんだ。
 はあっとラエスリールがため息をついた。




<< Top < Back Next >