「もー。ラスったらそんなに怒らないの!」
 能天気な声が聞こえ、ラエスリールはますますイライラが募った。
 誰の所為で腹が立っていると思っているのだろうか。
 元を正せば数日前。仕事帰りに立ち寄った街で闇主が無防備な人間に怪我をさせたことに始まる。その時ラエスリールは、簡素な食堂で昼食を取っていた。それだけなら特に問題はなかったのだが、そこに街に住んでいると見られる青年数人が彼女に声をかけてきたのだ。それをどこからか見ていた闇主が、その青年数人に、力を使って怪我をさせた。周囲の一般人には何が起こったか分からなかったが、いつも一緒にいて、最近彼の性格を理解しつつあるラエスリールにばれないはずもなく。案の定、彼女がそれを咎めたが、しかし闇主に反省の色が見えるはずもなく。
 結果、ラエスリールはここ数日機嫌が悪い。
 普段からあまり話さない少女だが、機嫌が悪いことも重なって、なおさら何も話さなくなった。
 更に、闇主から見ればあの時の青年たちの行動は1人でいる少女を誘っていたとしか見えないのだが、ラエスリールにとっては特に害のない人間が声をかけてきただけという解釈の違いも加わって、ラエスリールの気分は最悪である。
 おまけに空はどんよりと曇り、今にも雨が降りそうな天気だ。山間の細い道を歩いているラエスリールにとって、それは避けたい事態であった。無意識のうちに歩く足が速くなる。
「そんなに速く歩いていたらばてちゃうよ? いくらラスが我がままで有名な紅蓮姫の使い手だからってそんなに体力があるわけじゃないんだから」
 無視だ無視。
 堅く心にそれを誓いながらラエスリールは歩いていた。
「……ホント、ラスは頑固だなぁ。気の強いラスも好きだけどね。そろそろ懐いてくれてもいいんじゃない?」
 誰が懐くか、お前みたいな素性の知れない魔性なんかに。
「アレだってラスの為だったんだよ? こんなにラスのこと大事に思ってるのに、いつまで経ってもそんな態度じゃさすがに俺も悲しいよ?」
 お前にそんな感情があるものか。
 山道らしく多少ぬかるんでいる土を踏みしめながらラエスリールは前に進む。この道を真っ直ぐ行けば夕方までには次の町に着く予定なのだ。
「あ。無視してる。酷いなぁ。でも、俺はラスのそんなところも全部ひっくるめて好きだから安心してね。うんうん。怒ってるラスももちろん可愛いよ。毛を逆立てた猫みたいでね。だけどやっぱり笑ってくれるともっと嬉しいかなぁ」
 誰がお前なんかに笑ってやるものか。
 天変地異が起こってもそれだけは絶対に有り得ないだろうとラエスリールは思っている。なんで自分がこんな奴に笑ってやらなければならないのか。全くもって、それをする必要性が見当たらない。
「笑ったラスは今以上に綺麗だろうからなぁ。あ。笑顔を作るときはちゃんと女装するんだよ? でもでも、俺以外に笑顔は見せちゃダメだからね、ラス。絶対だよ?」
 勝手に同意を求める闇主をやはり無視しながら歩き続けるラエスリール。
 空はいよいよラエスリールと同様に機嫌が悪くなってきていた。あと数分も経てば降りだして来るだろう。
 ざくざくと、堪忍袋の緒が切れる寸前のラエスリールは道を進む。
 と。
「ちょっと待て、そこの2人」
「?!」
 道の脇から声が聞こえ、ラエスリールがビタッと止まった。闇主ものほほん、とした顔で立ち止まる。見れば武装した成人男性が数人、猟銃の銃口をこちらに向けながら立っている。
「な?」
 質問をしようとしたら、それを与える間もなく男たちは2人を取り囲んだ。
「おい、こっちの赤い髪の男、影がないぞ!」
 1人が叫んだ。その声に残りの男たちが一斉に闇主に銃口を合わせて、顔を強張らせた。
「……何かしたのか、闇主?」
 少なくとも自分にはいきなり銃口を向けられるようなことをした覚えはないラエスリールは、連れの男に尋ねた。
「せっかく久しぶりに口を開いたと思ったらその台詞はないんじゃない、ラス?! 俺のコト疑ってるの?! 酷いよ、ラス! ラスと俺は誰もが羨むパートナーなのに! いくらなんでもあんまりの仕打ちじゃない?! 待ちに待ったラスの言葉がそんな人を疑うようなものだなんて!」
 そんな風に疑われる奴が悪い。
 それにどこの誰と誰が人が羨むパートナーだって?
 そんな感じにかなり突っかかりを覚える台詞であり、ラエスリールは声に出してそれを叫びたかったが頭痛がするのでそれをやめ、代わりに周囲を取り囲む男を見た。彼らは視線で会話をしていて、やがて意見が合ったのか、年長と見られる男が闇主に訊いた。
「お前、2ヵ月前からここいらで娘を攫っている魔性か?」
「娘ぇ……?」
 闇主が心底、嫌そうな顔をしながら言った。
「彼は私とずっと一緒にいました。人攫いは……」
「連れの人間の言葉が信じられるか! そもそも、お前も魔性じゃないだろうな?」
「魔性と一緒にいる娘だ! そいつも怪しい!」
 そうだそうだと何人かが同意する。
 ここで慌ててはいけない。自分が慌てたら何をしでかすか分からない問題児がここに1人いるんだから。
 冷静に対処しろ。そうでないと後ろにいる、こんな状況が大好きな彼が黙っているはずがない。
 ラエスリールは何度もそれを自分に言い聞かせた。
 しかし、そんな彼女の努力など気にしない闇主は言う。
「面倒だなー。ねぇラス。この人たち、片付けてもいい?」
「やめろ」
 即答すると「えー。なんでー」と文句があがる。
 それを軽く無視し、どう説明しようか考えをめぐらすラエスリールだったが。
「何かの手がかりになるかも知れん! 2人とも捕らえろ!」
 年長者の合図に男たちが殺気立つ。
「ちょ、ちょっと待っ……!」
「やっぱ面倒。話を聞く気なさそうだし、このままじゃラスに危害が加えられそうだから、ここはさくさく片付けるべきだと思うよ、ラス」
「ば、ばかっ! やめろ!」
 この間流血騒ぎを起こしたばかりだろ!
 と言いたかったが、それを言う前に周囲は純粋な一色の力の支配を受け、ラエスリールが瞬きした次の瞬間、彼女の視界に飛び込んできたのは傷を負った男たちだった。





「浮城の方とは知らず、ご無礼をお許しください」
 先ほど道で出会った年長の男がそう謝った。彼の頬や腕には薬品を染み込ませた綿がテープで止めてあったり、包帯が巻かれていたりする。
「いや……謝るのはこちらの方で………」
 どう考えても――正当防衛とは言え――彼らの傷の責任は全て闇主にあった。そう思い至り、彼を睨むも軽く視線をかわされた。
 ラエスリールがいるのは先ほど襲ってきた男たちが住んでいる村だった。本当は怪我人を村に運んだら町の方へ向かうつもりだったのだが、ここ2ヵ月雨が降り続け、土砂崩れが発生した為に町への道が封鎖されているとの事で仕方なく村に滞在することになった。
 何やら魔性に関する問題を抱えているようなので、はっきり言って、あまり関わりたくはなかったのだが、こうなるとどうしようもない。勧められるままに村長の家に案内され、その一室で温かいお茶をもらった。
 謝罪も終わり、気まずい雰囲気が流れる。
 すると、タイミングよくコンコン、というノックの音が聞こえた。
「浮城の方が来たと聞いたのじゃが……」
「村長!」
 男が入ってきた白髪の男性をそう呼んだ。
 ラエスリールは立ち上がり、頭を下げた。
「ラエスリールと言います」
「…私の名はオルズじゃ。ラエスリール殿。何もない所じゃが、土砂は明後日には取り除かれるとの事。ゆっくり休んでくだされ」
「村長。ラエスリール殿は浮城の方です。あの件を頼んでみては?」
 やはりそう来たか。ラエスリールはばつの悪そうな顔をしながら浮上のしきたりを話そうとしたら、その前にオルズが首を横に振った。
「浮城は依頼以外の仕事は請けぬ。彼女にそれを頼むことはできんよ、カルヴァ」
「しかし!」
「決まりは決まり。組織側の人間にはそれに従う義務がある。そうじゃな、ラエスリール殿?」
「え? は、はい……」
 どうして一介の村人であるはずの彼がそんなことを知っているのか。けれどその疑問よりもカルヴァと呼ばれた男性の悔しそうな顔が、胸を突いた。
 そうなのだ。もしオルズが村が抱えている事件を解決してくれと言っても、浮城は慈善活動をする団体ではない。依頼がない限り、魔性を討つことはできないのだ。
 正式な依頼でない限り、自分がこの村にできることはない。
「……カルヴァ、アマリアを見てきてくれんか? こんな天気じゃと言うのに、また見当たらない」
 カルヴァは何かを言いたそうに口を開いて、しかし何も言わずにぎゅっと唇を引き結び、部屋を後にした。
 パタン、とドアが閉まったのを目で確認しながらオルズは言う。
「私も昔、浮城にいてな。その時、組織のしきたりと自分の良心が食い違ってしんどい思いをしたことがある」
「そう、だったんですか」
 だから助けてくれたのか。
 村長はドアに向けていた視線をラエスリールに戻して、微笑んだ。
「貴女が気にすることは何もない、ラエスリール殿」
「……はい」
 そうは言われても、やはり心は痛い。
 助けられる力があるのに、見棄てるなど。
 そんなラエスリールの顔を見て、オルズはため息をついた。
「貴女も、組織に組み込まれるには優しすぎるようじゃな。優しさは悪いことではないが……それは時に貴女を縛る鎖になる。意味は分かるかな?」
「…いえ」
「そのうち分かるじゃろう。ただ、分かってほしいこともある。それは、今、貴女に必要なのは組織の人間として持つべく非情さじゃということを。それだけは理解してくれ」
 それはなんとなく分かる。だから頷いた。
 けれど。
「本当に、私にできることはないのでしょうか?」
「ラス」
 その言葉に反応したのは闇主だった。
「できることとできないことは明確に示した方がいい。下手に期待を持たされる方が何倍も辛いんだから。それをラスは知ってるでしょう?」
「……そうだな」
 分かっている。分かっているけれど、それを受け入れるにはやはりラエスリールは諦めが悪く、優しすぎた。
 窓の外は、ついに雨が降り出した。地面に黒い点がぽつぽつとできたかと思うと、ザアッと本降りになった。屋根を雨粒が打つ。
「最近、この辺りはずっとこんな天気でな。気持ちが晴れなくて困る。………そうじゃな、どうしてもと言うのなら、ラエスリール殿。この手紙を浮城の城長に届けてくれないか?」
 オルズは一通の手紙をラエスリールに差し出した。それは浮城への依頼書だった。
「使者を出そうとしたら土砂崩れで出せなくなってしまった。幸い、ラエスリール殿は土砂がなくなればまっすぐ浮城へと帰られる身。これを城長に届けてくれると助かる」
「分かりました。必ず」
 ラエスリールはその依頼書を受け取り、オルズのその心遣いに感謝した。





「ところで、先ほどおっしゃっていた、アマリア、と言うのは?」
 依頼書を荷物にしまったラエスリールがオルズに尋ねた。
「ああ。私の末の孫娘でしてな。2ヵ月前に亡くなった1つ上の姉…アマリアの姉だが、その姉の墓に毎日のようにお参りに行っているのじゃよ」
「…すみません」
 まさかそんな話が出てくるとは思わなかったので、ラエスリールはどうしようかとを悩んだ。
 オルズは笑った。
「いいや。お客人なら仕方ないことじゃよ。じゃが、まさか孫娘に先に逝かれるとは思わなんだ。20になったばかりだったと言うのにな。悲しいことよ」
 そう言って、オルズは彼の為に用意されていたテーブルの上のお茶を一口飲んだ。
「ソルフィーは……姉の名前じゃが、去年、この村に来た青年と恋をしてな。20になったら結婚をすることが決まっておった。喜んでおったよ。今まで見たどの笑顔よりも綺麗な笑顔で20を迎えた。誰もが幸せになると思っておった」
 外は土砂降りで、隣の家も霞んで見える。これだけ降ったらまた土砂崩れがあるかもしれない。
 ラエスリールもお茶を飲みながら、懐かしそうに語るオルズの言葉に耳を傾けていた。
「でもな、あの子が誕生日を迎えた次の日の夕方。森に木の実を拾いに行った先であの子は獣か何かに襲われたのじゃ。悲鳴を聞きつけ、あの子の婚約者と村の男何人かで助けに行ったが、とても助からないほどの重傷でな。その場で果てた」
 オルズが微かに浮かんだ涙を自分の手で拭う。
「……この年になると涙もろくていかんな。…………優しい子だった。本当に優しい子だったんじゃ。誰もがそう思うほどにな。なのに、ガンダル神はあの子にあんな結末を与えたと思うと、やりきれなくてな」
「……」
「アマリアは、父や母よりも姉を慕っていたから、まだ抜け出せないのじゃろう。悲しみに捕らわれて、未だに現実を見つめる勇気がないんじゃよ」
 さて、とオルズが立ち上がった。
 窓は締め切っているはずなのに、部屋の空気は雨が降っているからか、少し湿っている。不快なほどではないが、それでも少し鬱陶しく感じる程度には湿気がある。
「少々長居しすぎたの。夕飯ができたら呼びに来るよう言っておこう。できれば一緒に食べてもらいたいと思っている。ここの者はあまり村から外に出ないんでな。外の話をして下さらないか?」
「…私はその、あまり上手く話をすることができないのですが、それでもよければ」
「構わんよ。孫たちも喜ぶじゃろう。それではラエスリール殿、夕食の時にまた」
 自分の分のカップを手に、オルズが部屋を出ていった。ドアを閉める音が雨音の合間に部屋に響いた。
 ラエスリールは冷めてきたお茶を口にする。強い甘みのあるそのお茶は、茶葉の作用か、体の中からぽかぽかと温かくなる。
「ラス。ラスが今、考えていることを当ててみようか?」
 どこか楽しそうに闇主は言った。
「あの村長さんの話を聞いて、ラスは今、この村で起こっている事件と孫娘の事件に関連性がないかを考えた。森の中で襲われた娘が本当は何に襲われたのかは分からない。『獣か何か』って言っていたからね。もしかしたら妖鬼かもしれない。そして、最近起こったとされる事件はさっき山の中で村人たちが2ヵ月前から起こっているらしい事を言った。孫娘が死んだのと同じ時期だ。それがもし、孫娘が死んだ直後に起こったことなら、何か彼女と関連性があるかもしれない」
「………………お前はなんでそうなんだ」
 考えていたこと全てを口にされ、面白くなくてプイッとラエスリールは横を向いた。
 闇主はにっこりと笑んだ。
「そりゃあ、ラスの考えていることならなんでも分かるよ、闇主さんは。なんてったって、パートナーだからね。でも、傍にいるんだからそういう事を考えているなら相談してくれればいいのに」
「なんでお前なんかに」
「分かってないなぁ。こういうのは年上に頼るものだよ?」
 ラエスリールはその言葉にじっと闇主を見る。
 そう言えば、年上だとは思っているが、実際、この魔性は何年ぐらい生きているんだろうか。言動や行動からどうも子どもっぽく映って仕方ないが、妖貴に知り合いがいるぐらいだし、それなりに年を取っているはずだ。
「あ。今、俺のこと考えたでしょ? やっだなー、ラス。告白なら視線じゃなくて口でしてくれなきゃ」
 ……誰が告白の台詞を頭に浮かべた。
 ややげんなりした様子で肩を落とすラエスリール。
 少しでもこいつをすごいと思った自分がバカだった。
「本当に、お前は何者なんだ闇主?」
「何度も言ってるでしょ。俺はラスの護り手」
「そうやってはぐらかすのか?」
「はぐらかしてないよ。ただ事実を言ってるだけ」
 にこにこと笑うその顔に隙がなくて、ラエスリールは息を吐く。しょせん、どうあがいてもこの男に口で勝てるはずはないのだ。
「…止まないな、雨」
「どうせなら隣町まで転移する?」
「村長の好意を無駄にできるか」
 呟き、窓の外を見る。
 雨はいっこうに止む気配がなかった。




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