***エピローグ***


笛の音が聞こえた――。

森がざわめく。
あの深紅の魔性がここに放り投げてくれてからというもの、妖精のような風貌の緑の妖鬼と、深縁の美女は、深い森の中を右往左往していたのだ。
獣道しか見当たらず、どこに行けば道に繋がるかも分からない状態だった。
だが、ふとした拍子に聞こえる微かな音色。
響き渡る旋律は、かつて惹かれた音と酷似していた。

走った――。
二人で疲れも感じず走った――。

枯れ葉を踏む音と、二人の荒い息づかいだけが森にこだまし、笛の音は確実に二人を導いていく。
その音に近づくにつれて、懐かしい旋律が胸を焦がした。
あの時、自分とターニスが初めて出会った時の旋律。
笛を吹く彼女を見つけて、あっという間に捕われたあのメロディ。
気が付いたら心までもどうしようもなく捕われていて。

夕日が木々の隙間を照らし、走る二人の顔を橙色に染め上げた。
うっそうと茂る森が開けた――。

さして大きくもない森の狭間に、ぽつりと小さな家が建っていた。
そこから余り離れていない、大きな石に座り夕日に向かって笛を吹いている女は、あれは――。

女の茶色の髪には白髪が混じり、夕日に照らされて橙色に染められた顔には、深い皺が刻まれていた。

あと数十歩でも歩けば手が届きそうな距離にいながら、緑の青年は立ち竦み、動く事が出来なかった。
二十年という人間には決して短くはない時間。
ターニスは年を取り、娘は美しく成長した。

自分は憎悪に染まり、数々の人間の血に塗れて来た。
あまりにその期間は長過ぎて。
血塗られたこの手で、美しい旋律を奏でる焦がれた女に触れる事が出来ず。

ターニスが呆然とおぼつかない足取りで近づいて来た。

じっと見つめ合う。

ターニスの瞳には今にも零れ落ちそうな涙をたたえていた。

「あんた...それに私の可愛い子」

先にそんな緊張を解いたのは、ターニスだった。
おずおずと近寄り、二人を抱きしめた。
頬に刻まれた皺を伝うように、涙が頬を伝った。

逢いたかった
逢いたかった
逢いたかった

ターニスの背中にも二人の腕が回った。
固く抱きしめ合った。

「キィ」

鳴く声が聞こえて、緑の青年の肩から、六つ目の小鬼が顔を見せた。

「お前...」

ターニスは『キイ』の姿を見て微笑んだ。
それではあの色違いの双眸を持つ美しい娘と、恐ろしい程の美貌を持つ深紅の魔性がこの再会に一役買ってくれたという事だ。

あまりにも一人で孤独に生きた時間は長かった。
あまりにも憎悪と狂気に我を失っていた期間は長かった。

でもこれからは――。

日が暮れかけて、虫の鳴く声が辺りを支配し始めた。
冷たい風が茶毛をなびかせる。
ふと若い頃の自分によく似た娘を見やった。

「やっぱり女の子だったんだねえ」

やはりどこかズレているターニスに抱きしめられながら、深縁の美女は願った。
あの鮮やかな朱金を纏う半妖の娘には、幸せになって欲しいと。
自分達のように道を踏み外して欲しくはないと。

辺りはすっかり闇に支配され、チラチラと輝く星々が夜の訪れを告げていた。
ターニスの森の小さな家に、明かりが灯った――。


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