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「姉ちゃん! やっぱり姉ちゃんってばすっげえ、俺、信じられねぇよ! 偶然とはいえサティンの獲物を当てちゃうなんてさ」

久しぶりの再会に、ラエスリールが砂色の美女に抱擁攻めに遭っている時であった。
暇だという理由で、サティンの休暇がどんなものかとちょっくら見に来た邪羅と鉢合わせになったのだ。
邪羅とはさすがに浮城の仲間達よりは会う機会があった。
この純血種の藤色の魔性は、ラエスリールが数ヶ月ごとに仲前への連絡の度に、居場所を確かめては顔を見せに来ていたのだ。
しかし前回この青年に会ったのもいつの事だったか...。

「しっかし俺もこうやって姉ちゃんに会えちゃうんだから、俺の運もまだまだ捨てたもんじゃねえなー。いっつも兄ちゃんが綺麗さっぱり気配消しちゃうからさ、こっちも探すのに苦労するったら」

「ガキは余計な事に首を突っ込むな、お前もしっかり貧乏籤の一部だ。 分かったならさっさと帰れ」

いつもながら闇主の邪羅苛めには余念がない。
このまだまだ子供の妖貴をからかって、その反応を見て楽しんでいるのだ。
今まで散々この性悪な深紅の青年に苛められ続けて来た鎖縛はというと、少し離れた所で飛び火を避けるように佇んでいる。
その中、いつもながら闇主への報復とばかりに――大抵はいつも反撃を食らうのだが――邪羅が、がうがうと噛み付くのを遮ったのは、にっこりと笑う砂色の髪の美女ことサティンであった。

「あら闇主、あなたそれはラスを独り占めし過ぎというものだわ。 そういう事で、今日一日はラスを借りるわね」

「私を借りるって...何を...?」

まるで自分の意志など関係ないかのように進められる会話に、半ばラエスリールは付いていけなかった。
実際この面々の前で、ラエスリールが口を挟める事など滅多に無いのだが。

「せっかくキスタの街に向かっているんだから、お買い物に決まってるじゃない」

ラエスリールに絡むいかなる男の前で、独占欲の固まりとなるこの深紅の青年は、狭すぎる心の中でも女には幾らか寛大なのか、その中でも特にサティンには友好的に接してくれていた。
ひらひらと手を振って、「おう、連れてけ連れてけ」なぞと言ってくれる。
実際このサティンのいう『お買い物』は結構疲れるものがあったので――浮城時代に市場に連れられて、酷く疲れた思いをした事があった――ラエスリールとしてはあまり率先してやりたい事ではなかったが。

「えーっと、リーヴシェランと彩糸にはハーブのお茶と、セスランには果実酒があるから良いとして...ああそうそう、ここで作られる蜜蝋も果物の香りがして素敵なのよ ...ってラス? なに疲れた顔しているのよ? そうだわ、せっかくのお買い物だもの、あなたもなんか欲しいもの言いなさい」

せっかくの再会で、しかも何やらこの件で迷惑をかけてしまった負い目があって、自分の我が儘を言う事は、ラエスリールには出来なかった。
いや、サティンのパワーに気圧されただけかもしれないが...。
ぽん、闇主の手が頭に置かれた。

「お前な、この連中の前で何も遠慮する事ないだろうが。 ほら、何か欲しいものがあったら言ってみろ」

ラエスリールは幼少時代に負った心傷のトラウマと本来の性格上、あまり我が儘を押し通す事が得意ではない。
浮城時代にはラエスリールのちょっとした表情の変化から、サティンやセスランや養母であるマンスラムが器用にも読み取っていたのだが、闇主は逃亡生活に入ってからというもの、ラエスリールが何をしたいか分かっているくせに、それをわざわざ口で言わせようとするのだ。
まあそのお陰か、ラエスリールもだいぶ闇主には甘える事が出来るようになっていたのだが。
しばらく何やら考えていたラエスリールは、じゃあ...と言いかけ、何を思い出したのかげんなりした顔でつぶやいた。

「別に私は何もいらないが...強いて言うなら、美味しいものが食べたいな、と」

そのラエスリールの一言に、闇主は肩を震わせて笑い、それに不満を覚えたのかむすっとしながら色違いの双眸を青年に向け、口を尖らせた。
実は知っているのだ。 闇主が実に麗しい笑顔で為していた事を。

「お前だって、食べたふりして全部転移させてたくせに」

「あんなもん、食えるか」

闇主の笑いは止まらない。
そんな青年を見つめながら、ラエスリールの色違いの瞳がふっと遠くを見るように細まった。
待ち続けたターニスと、人間に裏切られた緑の妖鬼、そして父親の期待に応えようと心臓を喰い続けた娘。
世界はなんて不公平なのだろう。
今更ながら、自分は好運だったと思わずにはいられない。
辛い事も沢山あったけれども、分かり合える仲間に巡り会え、助けられ、支えられ...。

「あの三人は幸せになれるだろうか?」

そんなラエスリールの心境に気付いているだろうに、闇主はというと笑いながらふざけた答えを返してくれる。

「まあ、あんな料理でも、心臓よりかはましだろうよ」


そんな二人のやり取りを見て、サティンの口元には自然と微笑が浮かんでいた。
なんだかんだ言っても、大事にされて...結構上手くいってるじゃないの。
久しぶりに再会したラエスリールは、目を見張るほど美しくたおやかで、全体の印象も実に華やかになった。この尋常ではない美貌の主である深紅の青年が隣にいても、何の遜色もない程に。
浮城時代の『最強の鉄面皮』ぶりが嘘のように剥がれ落ち、表情も彼女らしく自然にくるくると変わる。
これもラエスリールという存在を否定せず、全てを受け入れ、上から強制する事もせず、辛抱強く待ち続けた深紅の青年の努力の現れと言えるのか。
その辺のこの男のこだわりは、さすがに凝り性というのか、妖主というのか...。

「闇主、あなた頑張ったわね」

ぽつりと漏れたつぶやきに、脈絡がなく話が見えないラエスリールは首を傾げ、一瞬何の事かと怪訝な表情を見せた闇主は、すぐに理解したのか、「当然だ」と笑みを浮かべた。

「さっ、寄り道はこれくらいにして行くわよ」

「姉ちゃん、サティン、俺も行くっ!」

「おい、忠告しておいてやるが、わざわざ立候補しない方が良いぞ」

張り切っている邪羅に向かって、今まで黙っていた鎖縛がボソリとつぶやく。
サティンはそんな護り手に、黙ってなさい、と目だけで告げにっこり笑った。

「あら、お買い物に邪魔な男はいらないのよ。 でも、そうね。一つ約束してくれるなら、連れてってあげても良いわ」

「約束するっ! 絶対守るからっっ!!」

その約束とやらも先に聞かずに即答し、鎖縛の忠告にも耳を貸さず、後の祭りとはこういう事をいうのだ。
かくして藤色の青年は、女に化けて、荷物持ちを手伝わされるハメになったのだ――。


「お前、よくあんなのに四六時中付き合ってられるな」

砂色の髪の美女に引きずられるように歩く、邪羅とラエスリールの後ろ姿を見て、全ての元凶である深紅の魔性は、いかにも楽しそうにしゃあしゃあと言ってのけた。
大体この性悪な青年の所為で、鎖縛には拒否権というものは与えられていないのだ。
鎖で繋がれ嬲られるよりはましだったが、護り手に強制された直後は、新手の拷問かと思った位だ。
だから厭味臭く言ってやった。

「お陰様で、感謝してもしきれないね」


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