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「鎖縛っ! なにそんな女の誘いになんか乗ってるのよっっ!!」

いきなり前方から現れた美しい深縁の女の前で固まっている護り手に向かって、砂色の髪の捕縛師は声を張り上げた。

「ちょっと、鎖縛っっっ!!!!」

いくら怒鳴っても、近くにいる護り手に、サティンの声は届いていないようだった。
ヤバいわ――背中から冷や汗が伝う。
真名を呼ぶ声も届かないとは。

くすくすくす

「無駄ですよ、お嬢さん」

狂いそうな位の静寂の中、諭すような声が上から降って来た。
はっとして見上げると、鮮やかな緑を纏う美しい妖精がふわふわと浮かんでいた――だがその気配は、まぎれも無い妖鬼。
その姿はうっそうとした森に同化しそうな程、溶け込んでいた。

「お前に恨みは無いのです、お帰りなさい」

緑の妖鬼は、キスタに続く道を指差した。
森がざわめく。

早く帰りなよ

逃げちゃいなよ

くすくすくす

森は完全にこの妖鬼の支配下にあった。
サティンを隔てる、結界のようなものが張られているのだろう。
サティンからは全て丸見えで、人間に化けた鎖縛からは何も見えないからくりだ。
おまけに『音』は結界の外には届かない。
しかし、関わるな、と言う妖鬼の言葉に従う程、捕縛師であるサティンは素直でも経験不足でもなかった。 怖じけついて逃げ出すとでも思ったのか、そのまま背を向けた妖鬼に向けて、素早く封魔具である矢を放った。 サティンの封魔具の最大の長所は、遠方にある敵すら狙える所なのだ。

卑怯だろうが何だろうが、勝手に言ってくれればいいのよ――と、もしかしたら、捨て台詞になったかもしれない言葉は、しかし発せられる事は無かった。
放たれた矢は、緑の妖精に擦り傷つける事無く、砕け散ったのだ!

くすくすくす

鮮やかな緑の妖精を、強大過ぎる程の妖気が取り巻いたのはその時であった。
そして初めてサティンは、妖貴である自分の護り手でさえ、一歩も動けずにいる理由を知ったのだ。
妖鬼達に刻まれた妖気の波動には大いに覚えがあった。
ラエスリールが浮城に来た当時、彼女に引っ付いていた、物騒なアレだ。
なんで...。
深紅の青年に恨みを買った覚えは無い。
大体妹分のラエスリールが、こんな風に自分達を貶める事を許すだろうか?
...有り得ない――これだけは自信を持って断言出来る。

「だから、早くお帰りと言っているのですよ」

今度こそ緑の妖鬼はサティンに背を向けて、女の髪に絡まれて身動きが取れない『屈強の男』の背後にスイと移動した。 その手には、いつの間にかギラギラとした剣が握られていた。

...ならば、あの性悪な深紅の青年は、面白がってこんな事を仕組んでくれたのだ。
沸々と静かな怒りが湧いて来た。
あ、あんのぉ...極悪迷惑大魔神っっっっ!!!!!!

「鎖縛っっ!! さっさと正体をバラせばいいのよっ!!」

届かないとは分かってはいても、叫ばずにはいられなかった。

「気をつけなさいって、言ってるのよっっっ!!!」

悲痛な叫びも虚しく、妖鬼の剣は、鎖縛に向かって振り下ろされた――。


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