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「近いが...厄介だな。用心しろ」

告げるのは、いつもの黒ずくめの美貌の護り手ではなく、完璧なまでに『屈強の男』に化けた鎖縛であった。 腰には大剣がぶら下がっており、どこから見ても修羅場をくぐった戦士に見えた。
キスタ郊外の果実園にて、一石二鳥を目論んだ依頼主からしっかり大量の果実酒を脅し取り、更に滞在する場所が必要だと、果実園の丘に佇む美しい別荘まで手に入れた砂色の捕縛師は、今度は自分を『屈強の男』に仕上げる為に、やれもっと日焼けしろだの、肩に筋肉を付けろだの、頬に古傷を付けろだの、無精髭は必然だの...と色々注文をつけてくれたのである。

「おかしいわ、近くにいるのは分かるのに、どこから気配が来るのか掴めない」

キスタの街へ続く、くねくねとした山道を歩きながら、砂色の髪の捕縛師は訝しげに告げた。 どこを見渡しても、周りは深い森だ――その所為かも知れないが、妖鬼だけではなく、いる筈の動物の気配までもが散漫しているのだ。 まるで鏡の世界に放り込まれたような、奇妙な感覚だった。

「離れるな、こんな所ではぐれられたら、探すのに厄介だからな」

「...そんな事言われなくても分かってるわよ。 あなたこそ妖鬼を見つけたら、すかさず動きを封じてちょうだい。 一匹ならともかく、こんな気配が四方八方の場所じゃ、二匹目がどこから湧いて来るかも分からないわ」

いっそ二匹いっぺんに出て来られた方が、楽な事は楽なのだ。 鎖縛なら複数の妖鬼でも、一度に呪縛するのは造作も無いだろう。 彼の戴いた名の通り、この妖貴が敵の動きを縛る事など容易なものだった。
だが、もし向こうが何らかの罠をしかけて来たら...? 
それでも鎖縛との連携で引けを取るとは思えないが、臨機応変に対処する必要はあるだろう。
何にせよ、用心するに越した事は無いのだ。
人型の取れる、力のある妖鬼ならば、多少はこざかしい真似もするかもしれない。

その時であった――ひっきりなしに聞こえていた鳥のさえずりも、動物達の気配も消失したのは。 
周りを支配したのは、ぞっとする程の静寂だった――。


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