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意識が戻ってからというもの、ラエスリールの回復はめざましかった。
あれだけ色褪せて見えた命の光も、眩しい朱金の輝きを取り戻しつつあり、夕刻決まったように茶毛の女と笛の練習をする合間にこぼれる笑みは、夕日を浴びて、見とれる程美しかった。
彼女にはもう少し休息が必要だったが、『少しでも漏れた気配を正確にかぎわけて来る妖貴達を考慮すると、ここに長居する訳にもいかない』というラエスリールの要望により、明日の昼迄にでも旅立つ旨を伝えた所だった。
やはり未だ万全ではない彼女は、食事が終わるなり泥の様に眠ってしまった。

「やっぱり行ってしまうのかい、さびしくなるねえ」

茶毛の女――ターニスと名乗った――は心底残念そうにつぶやいた。
それもそうだろう、と造作は全く変わらないが色彩だけ変えて『人外の美貌』の人間に化けた青年は思う。彼女の周りに無数の『ペット』はいれど、人間と関わりがあるのは、数週ごとに笛を引き取りに来る商人と会う位なものだ。生活がかかっているのが分かるのか、ターニスの存在を護ろうと、妖鬼達がこの森で商人を襲う事も無かった。

「しっかしよくここまで集めたもんだ、ああ、でも一匹『異端』なのがいるな」

ラエスリールもしばらく前にその事実に気付いて慌てふためいていたのだが、『お前が心配する問題じゃない』という言葉に複雑な顔をしながらも、納得していたようだった。

「あの獰猛な子の事かい? ...まあ私を襲うような事は滅多にしないが、やっぱり懐いて来る子達を喰っちまうのは悲しいことだね...でもこれは、食物連鎖ってやつだろうから、仕方ないと言えば仕方ないんじゃないかい?」

ターニスは、妖鬼がしばし同胞を喰って力をつけようと『禁忌』を侵す事を知らないようだった。
今は微妙に均衡を保っているが、今後力を蓄えた妖鬼がどんな行動に出るかはわからない。
ターニスの存在に気付いていながらわざわざ殺さない理由は、彼女の笛の音に惹かれた低級な『餌』が手っ取り早く手に入るからだろう。
『食物連鎖』という言葉にククッと笑いながら、ここ最近自分の肩から離れない六つ目の小鬼を指で弄ぶ。 気持ち良かったらしく、小鬼は頭をすりよせた。
ターニスは長年ペット同様に飼っているこの小鬼の事を、『キイ』と呼んでいたが、その経緯と言うのがまた青年を楽しませた。
出会った当時、懐いて来た小鬼に『名前はなんだい?』と聞いた所、キィ...と鳴いてみせたんだそうだ。まあ、この小鬼の魔性の名は『希囲』だと青年には分かっていたので、当らずとも遠からずといった所か。

「しかし、あの時よく俺達を見放さなかったもんだ。『異端児』に見つかったら厄介だっただろうに」

青年の言う『あの時』とは、満身創痍のラエスリールを抱えて気配を押し殺していた時だ。
あの時も、無数の妖鬼の気配に混じって、『異端児』の気配には気付いていた。

「ああ、あれは老婆心ってやつだよ。あの子達が騒いでいて、胸騒ぎを覚えて来てみたら、あんた達がいてね。 お前さんが絶望的な顔して血みどろのあの娘を見つめているのを見たら、他者を愛するのに人間も魔性も変わらないんだと、今更ながら再認識させられてね...」

あっさりと言い切ったターニスに向けられる眼光が、一瞬鋭く光ったが、すぐに青年はやれやれと肩をすくめた。 その仕草がやけに人間臭い。

「なんだバレてたのか」

一瞬の後、青年の纏う色彩が闇ともみまがう禍々しいまでの深紅へと変化した。
もとより強固な結界を張っていた上に、周りの魔性達の気配も手伝って、擬態を解いても支障はない。
尋常ではない妖気と、闇に浮かび上がる恐ろしい程の美貌に、それでもターニスは面白そうに目を丸くしただけで、全く恐怖にすくむような事は無かった。
むしろ『良いものを見させてもらった』と言わんばかりに、笑ってみせた。
そんな女の様子に満足したのか、深紅の魔性はにやりと笑って一方的に話を進める。

「ついでに言うなら、あれもただの人間ではなく、半妖だがな。 まあバレてたんなら話は早い」

『半妖』と聞いてピクリと眉宇をひそめたターニスを真っすぐに見ながら、深紅の魔性は言った。
――望みを言え、と。

「不本意ながら、借りは借りだ。 しかも、とびきりのな。 それ相応の事はしてやろうよ。 死人を生き返らせる以外なら、なんとか出来ると思うが?」

何か願いがあると見抜いた上での問いだった。
ターニスは仕上がった笛を吹く度に、ある『想い』を旋律に込めていた。
彼女は浮城で訓練を受けた魅縛師ではなかったが、その音に乗せられる純粋な『想い』に魔性達が惹かれたのだ。
魔性達はこの森に集い、笛の音に酔った。 そして『想い』は結果的に、深い森の中、女一人孤独に暮らすターニスを、危険な魔性から護っていたのだ。

「...人探しは得意かい?」

茶毛の女の緑がかった茶瞳に一瞬、淡い期待の光が浮かんだ。
なんせ二十年程もこうして一人で待ち続けていたのだ。
もう諦めかけていた願いの筈だった――そう、この二人が迷い込んでくるまでは。
自分もかつて、美しい森の妖精のような青年に恋した事があった。
魔性との恋だなんて、報われる事は無いと分かってはいたが、それでも愛する事は止められなかった。
この二人を見て、知らず知らずのうちに、そんな昔の想いがありありと舞い戻って来たのだ。
生きている限り、希望を捨てなくとも良いかも知れない、と思った。

「それで探し人は誰だって? 妖鬼? そんなん世界に腐る程いるからな、何か繋がりになるような手がかりは無いのか?」

「彼との間に子供がいたんだけどねえ...娘か息子かまでは分からないよ」

困った様にターニスが笑った。
自分の子供の性別が分からない...何だそれは、と呆れ返る深紅の青年を尻目に、茶毛の女は肩をすくめた。

「半妖の子供って、複雑なんじゃないのかい? 私もあの時はそれで途方に暮れてねえ、縁を切った両親に縋ったんだけど、私の母親さえもどっちだか分からなくて、結果的に化け物の子供だって気味悪がられてね。 あの人が赤ん坊を連れて木の実や果物を集めに行っている間に、武装した男達が現れて、私だけ無理矢理遠くに連れて来られたんだよ。 全く私の両親も娘の幸せを何だと思っていたんだか、はた迷惑な話さ」

いかにも何でも無い事のように告げるが、これまでのターニスの人生は過酷なものであったのだろう。
何もされずに遠くに連れ去られた訳ではあるまい。
こんな深い森の中で一人暮らそうとした理由も決意も、尋常ではなかったに違いない。
彼女は痛みと苦しみを知る者だった。だが同時に、逆境に耐える強さをも身につけた者でもあった。
なんにせよ、深紅の青年には興味も関係もない事だったが。

「まあ性別がどっちであれ、お前の気配を半分持つ存在を探せば、もう半分の気配を持つ妖鬼にもたどり着けるってこった」

生きてようが死んでようが、時間を操る妖主にとって、過去にそういう気配を持つ者を探し当てる事など造作も無い事だった。
だが、何やら考えている青年の顔が、みるみる間に不機嫌に変わっていく。
ラエスリールの運気がターニスを呼んだのか、ターニスの強い『想い』がラエスリールを呼んだのか――真相は定かではないが、やはりこの出会いが偶然ではない事は目に見えて明らかだった。

「...やっぱり無理そうかい...?」

勘違いしたらしいター二スに「いや...」とだけ返して、青年は不機嫌を隠しもせず、面倒くさそうにつぶやいた。

「全く気絶してまで大当たりくじを引くあいつの才能は、天才的だな」


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