第六話
邪羅は自分の部屋の前で座り込んでいる乱華を見つけた。
俯き加減なので表情は見えない。
「おいそろそろ夕食だから呼びに来てやったぞ」
乱華を見下ろすような格好で、邪羅は言った。
「…………いらない」
「別にどうでもいいけど、姉ちゃんに心配かけるなよ」
「姉上に体の調子は悪くないから心配しないでくださいと」
「伝えとけばいいんだな」
「頼む」
乱華が邪羅に何かを頼むなど初めてのことだった。
「乱華は?」
食卓に顔を出したのが邪羅一人だったので、
ラエスリールは首を傾げた。
「夕食はいらないっていってた。体は何ともないって」
「……相当ショックだったんだな」
ラエスリールは気になる一言を放った。
「…何のこと?」
「何のことですかラス気になりますねぇ?」
「セ…セスラン様いつの間にいらしたんですか?」
何だか嫌な現れ方だ。
「邪羅君が来たすぐ後からそこにすわっていましたよv」
セスランは邪羅とラエスリールの会話にこっそり
聞き耳を立てていたということになる。
不気味すぎる。
「謝罪しようと思い乱華と二人で、マンスラム様の家に行ったんですが…」
苦笑しつつラエスリールはその内容を話し始めた。
「乱華が誤ろうとしたら、マンスラムさんに笑い飛ばされて
お金ももう返さなくていいって言われました」
「はあ?」
妙な声をあげたのは邪羅。
「お礼を言いたいのはこっちとまで、おっしゃったもの
だから乱華的にかなりダメージ受けたようですね」
ラエスリールは冷静に分析した。
「乱華にまだ言ってないことがもう一つあって…」
ラエスリールは一度言葉を区切った。
「ね…姉ちゃんまだあいつの心臓に悪い話があるの?」
「返したお金を渡してくれました。私と乱華の
お金として預かって下さってたようで。」
「……そのこと乱華君が知ったら、今度こそ壊れてしまいますねぇ」
セスランは少し深刻そうな表情をした。
「乱華には時期をみて言うんでこのことは黙っといてください。」
セスランと邪羅ははこくりとうなづいた。
そして何事もなかったかのように3人は夕食を食べ始めた。
今日はのおかずは珍しく買ってたお惣菜がおかずである。
キッチン桜楽のポテトサラダとメンチカツ。
メンチカツにはサービスでキャベツがついてきた。
食事中邪羅は、総菜屋の二人を思い出した。
ショーケースに並べられた煮物や揚げ物、焼き物は
どれもこれもおいしそうで、邪羅はどれにしようか考えあぐねていた。
その時、三角巾にフリフリエプロンの美少女が微笑みかけた。
「お客さんなかなか綺麗ね~まあ九具楽には叶わないけどね。」
美少女は声も綺麗だった。
「九具楽?」
「ああ、奥で料理作ってるのが九具楽。彼の作ったものは
最高に美味しいから、どれを選んでも損はしないことをお約束するわ。」
「そっかじゃあメンチカツ、それと
ポテトサラダ頼める? あっ4人分ね」
「はーい少々お待ち下さいね」
「あのさ九具楽って人呼んでくれないかな?」
無性に九具楽にという人物に会いたくなった邪羅である。
「良いわよ〜」
やがて美少女と共に、白エプロンをした長身の青年が出てきた。
「いらっしゃいませ。」
目を見張るほどの美青年である。声も耳に心地良い美声。
邪羅は数瞬、美しい二人に見惚れた。
更に二人の関係もかなーり気になってしまった。
「……お客様??」
「はっごめん!余りに二人が綺麗ですげえって思ってさ」
「あら嬉しいよく言われるのよ。私達お似合いでしょう」
あっけらかんと少女は言った。
「年がちょっと離れてるような気もするけど、
良い感じ! 君はレジ係?」
「あら嬉しいよくいわれるのよ。私はね完全予約制で
パンを焼いてるわ。あとはサラダも」
言いながら少女はてきぱきとレジを打っていた。
「桜妃のつくったパンに惣菜を挟むこともできますよ」
「美味そう!今度買いにくる」
「税込み〇〇〇〇円です」
邪羅はポケットから、紙幣を一枚取り出し支払った。
受け取った邪羅は袋の中のパックをみて少し驚いた顔をした。
「あれキャベツは買ってないけど?」
「油物をお買い上げの際にはお付けしています。」
健康を考えた九具楽の考案らしい。
「九具楽は無口だから、無愛想に映るでしょう
だからお客様の対応は私担当になってるのよ」
桜妃ははにかんで笑った。
「そっか。じゃあまた買いに来るよ」
「またお越し下さ〜い。今度感想聞かせてね」
ちらり振返った邪羅は桜妃の後ろで、
小さく手を振る九具楽の姿を見逃さなかった。
しばし箸が止まっていた邪羅の顔をセスランが覗き込んだ。
「どうしたんですか手元がお留守ですよ?」
「今日のおかず買いに行った店の二人が
すごい美形の男女でさ。思い出してたんだ」
「ぜひ会ってみたいですね。」
「あれは目の保養だった。店の名前も
二人の名前からつけられたみたい」
「このサラダもカツも美味しいぞ。」
「本当!?」
ラエスリールの言葉に邪羅は箸の動きを再開した。
「美味い!何も付けなくても食べられる」
乱華の分もすでに皿にキープしている邪羅である。
「たまには買うのも良いですが、出費が嵩みますからね。
明日からまた大根と魚ですよ。
外で買うのは月に一度が限度ですね」
邪羅は残念そうにうなったが渋々承諾した。
ラエスリールには否やはない。
悩んでいる乱華を余所に三人は
ゆっくりと食事を楽しんでいた。
その頃乱華は、布団にもぐりこんで眠っていた。
明日マンスラムの所に電話をかけることを決めて…。
邪羅は乱華を呼びに彼の部屋に向かった。
翌朝、乱華は5時に起き、仏堂の中一人で座禅を組んでいた。
長い金髪はリボンで一つにまとめている。
静寂が満ちる仏堂で意識を集中させる。
しばらく経った頃。
背後から人の忍び寄る気配を感じた。
誰なのか彼には分かっていた。
「さっさと声を掛けて下さって良いんですよ
どうせ後ろから脅かすつもりだったのでしょう」
「ああ、ばれてました?気配を完全に殺したつもりだったんですが」
わざとらしく姿を現したのは有髪僧セスラン。
彼は毎朝5時半には起床し、仏堂で座禅を組む。
毎日、朝と寝る前の修行は欠かしたことは無いのである。
「どうしたんですか?随分早いですね」
「気分を落ち着かせたかったのですよ。色々と」
「なるほど。そろそろ終わりにして朝食にしませんか」
セスランの言葉に乱華は、
「朝食にしたいのは山々なのですが、こんな早い時間に姉上を起こすことは
できません。もう少し寝かせて差し上げたいので」
「ラスなら既に起きて朝食の準備をしてますよ」
「えっ!姉上が作ったんですか」
「ええ。昨日お教えした料理をつくったのだと思いますよ」
「………あの不器用な姉上が料理を」
驚きつつも感動する乱華である。
「さあ行きましょう」
乱華は、セスランに促され仏堂を後にした。
台所には料理の盛り付けをしているラエスリールと、
その隣りで調理器具を洗っている邪羅の姿があった。
邪羅は、鼻歌まで唄ってかなり楽しそうだ。
ちょっとむかっとした乱華である。
「おはようございます姉上」
「おはよう」
「美味しそうですね」
「た、多分」
セスランの言葉に対し少し不安そうなラエスリール。
乱華は盛り付けられた料理をそっと覗き見た。
「いただきましょうか」
セスランの言葉で朝食は始まった。
「…………………………………」
全員が苦悶の表情を浮かべた。原因は焦げた焼き魚である。
誰も言葉を発する事も無く、3人は口直しに別のおかずを食べ始めた。
ラエスリールは激しく落ち込んでいる。
彼女ははあと深い溜め息をついた。
「あ、姉上、こっちの卵とキャベツの
炒めたやつ美味しいです! 抜群の味付けですよ」
そんな姉ラエスリールを乱華は慰めようとした。
「ありがとう。その料理はセスラン様が炒めるのさえ
失敗しなければ大丈夫だって言ってたやつだ。出来てから醤油をかけて混ぜた」
豪快な料理のようだ。
「ラスみたいな不器用さんでも失敗率の低い料理なんです。
大丈夫!ラスも時間かければ色々出来るようになりますよ」
「姉上、心がこもっていて美味しかったです。
いくら味が良くても料理は心がないとダメですから。
姉上の料理にはそれがあるから良いんですよ」
「ありがとう乱華」
「さあ続き食べようぜ!」
邪羅の言葉にラエスリールは笑った。
優しく暖かい人々に包まれて心底幸せを感じていた。
その日の午後、乱華はマンスラムの家に向かった。
「あら、いらっしゃい〜」
「お、おじゃまします」
乱華はいつもと違う部屋に通された。
来客用の部屋らしいが、かなり広い。
乱華の目に入ったのは、部屋のちょうど真ん中に置かれた真っ白なグランドピアノだった。
何故か心惹かれた乱華は、
「マンスラムさん。ピアノ弾くんですか?」
「たまにね。弾いてると心が落ち着くのよ。
あまり上手くないんだけどね」
乱華は囚われたようにピアノを見つめている。
「良かったら弾いてみたら?」
「喜んで」
乱華は麗しく微笑んだ。
瞳を閉じて鍵盤に手を伸ばした。
すうと息を吸って吐く。
やがて美しいメロディが流れてきた。
マンスラムは思わず溜め息をついた。
乱華の指はまるで踊っているかのようだ。
長く美しい指先を器用に動かしている。
ゆっくりと静かに曲を奏でていた両手は、段々と激しく強く白鍵と黒鍵の間を行き来していく。
長い金髪を振り乱しながら。
最後は鍵盤を叩くように弾いて、演奏は終了した。
高音と低音が鳴り響く。
置かれている楽譜は全く見てないようだった。
指が覚えているのだろうか?
乱華はかなり満足したような顔で椅子から立ち上がった。
「上手って言葉では片付けられないレベルだったわ!」
「ど、どうも」
ふいに乱華はきょとんとした顔になった。
「どうかした?」
「あ、いやちょっと」
乱華はうーんと唸って考える。
一体何をしにここに来たのだろうか。
頭の中が真っ白で思い出さないのだ。
立ち尽くしたまま動かない乱華に、マンスラムは心配そうな顔をしている。
「大丈夫?」
あんまり熱くなりすぎて頭が、麻痺しちゃったのかしら。
マンスラムは中々素晴らしい事を心の中で、考えていた。
「お茶持ってくるわね」
バタンと扉を閉じてマンスラムは廊下の方に消えて行った。
乱華はマンスラムの言葉に甘えて、じっくり思い出すことにした。
ベンチ型の長椅子に背中を預ける。
姿勢を崩して目の前のテーブルに頬杖をついた。
何か大事なことを忘れている。
喉の奥に引っかかっているようだ。
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