第五話
「あの、御用は何でしょう?」
突然の来訪に戸惑いつつ乱華は、翡蝶に言った。
「……ふふふ、まだ気がつかないのか?」
セスランが翡蝶と言っていたのでそのまま信じたが、どうやら双子の姉、識翠のようだ。
「えっ!もしかして識翠さんですか!」
乱華はかなり驚いた。まさか、彼女が来るとは。
「セスラン殿とやらは妹の翡蝶だとだまされたようだが…」
「はあ、それで今日はどうされたのでしょうか?」
「久しぶりに乱華の顔が見たくなってな」
やはり掴めない女性だと乱華は、思った。
それは緋陵姫の母翡蝶にも言えることだが。
「私の顔を見にいらしたのですか…。嬉しいですが唐突なのでびっくりするじゃないですか!」
識翠の小さな悪戯にかなり驚いてしまった乱華である。
「それにセスラン殿はあなたが翡蝶さんだとだまされたふりをしたのだと思いますよ」
あの男が、気が付かない訳がないだろう。
「ああそうなのか。ところでお前と緋陵姫はいつ結婚するんだ?」
真顔のまま識翠は尋ねた。
乱華はあまりの恥かしさと照れに床に突っ伏した。
「……大丈夫か?」
「事情があって今すぐというわけにはいきませんが、彼女と結婚したい気持ちにうそはありません。」
「それを聞いて安心した。では今すぐ家に来い」
「は……今から」
「そうだ。行くぞ」
識翠は動揺する乱華を強引に引っ張り封魔寺から連れ出した。
庭を掃いていたセスランは、通り過ぎる緑髪美女と金髪美少年を見送った。
「お帰りですか〜おや乱華君も一緒ですね。楽しそうで羨ましい」

封魔寺を出た乱華は、翡蝶と緋陵姫、識翠が住む家へとやってきた。
「伯母様お帰りなさい。乱華も一緒にどうしたのだ?」
驚きつつも緋陵姫は、とても嬉しそうだ。
「先程、乱華の住んだ所に行ったら、一緒に来たいと言ってな、
何やら話があるそうだが、翡蝶は戻っているのか?」
「母上なら自室で絵を書いていますけど」
緋陵姫はきょとんとした様子で、答えた。
「呼んで来てくれないか。来客だ」
「……はい」
緋陵姫が廊下の奥に消えた。
何だか乗せられている気がする乱華だった。
「乱華、客室で待っていてくれないか」
「は、はい」
識翠は乱華に言うと、さっさと向こうへ行ってしまった。
乱華は、客室の場所を思い出しながら広い家の中を歩いてゆく。
大きな緊張が体を支配している。
心の準備というものが、充分にできてはいなかった。
客室の扉を開けソファーに腰掛けた。
「どう言えばいいだろう……普通に緋陵姫を妻に下さいとか」
乱華は一人でシミュレーションを始めた。
「彼女を絶対幸せにします結婚させて下さいというのはどうだろうか。イマイチかな」
「うーん…………」

がちゃり。部屋の扉が開き緋陵姫が入ってきた。
びくっ!
まさか聞かれただろうか。
慌てふためく乱華。
緋陵姫はきょとんと彼を見つめている。
「どうかしたのか?」
「い、いえ別に何でもありませんよ。それより翡蝶さんはまだですか?」
「母上はもうそろそろ来ると思うが」
「そうですか」
乱華の額に汗が滲んできた。
とりあえず一人妄想シミュレーションは聞かれてなかったようだ。
緋陵姫にあんな恥かしい所を見られたら終わりだ。
乱華は心底ほっとひと息ついた。
「乱華、緊張しているのはわかるが、私もいるから大丈夫だ」
「緋陵姫」
緋陵姫の言葉は乱華にとって、とても心強いものだった。
「乱華君、話があるなら早くしてちょうだい!」
乱華の正面のソファーに翡蝶が座り、その隣のソファーに識翠が座った。
「乱華、緋陵姫と約束しているのだろう?」
「はい」
識翠が後押しした。
乱華は正面の翡蝶を真っ直ぐ見据えるように、
「翡蝶さん、私は緋陵姫と結婚したいと思っています。
この気持ちに一つの偽りもありません。
緋陵姫を私に下さい。お願いします!」
真摯な眼差しで乱華は言った。
緋陵姫はどうしようもなく嬉しかった。
「そんな話だろうとは思っていたわ……そのかわり緋陵姫を
傷つけたりしたら承知しないから肝に銘じておきなさいよ!」
大賛成というわけではないようだが、翡蝶は認めてくれたらしい。
「ありがとうございます!」
乱華と緋陵姫は手と手を取り合って喜んだ。
「よく認めたな翡蝶」
小声でぼそぼそと姉妹は話し始めた。
「今さら反対なんてしたら、あの娘何するかわからないじゃない。
それに乱華君なら大丈夫だって、不覚にも思っちゃったのよ」
「私は最初からそう思っていたぞ」
「お姉さまったら相変わらずでいらっしゃるのね」
翡蝶は改めてこの双子の姉を尊敬した。
「緋陵姫、出かけませんか?」
「ああ」
乱華と緋陵姫はそのまま家の外に出て行った。
今日は彼の作った魔法薬(美しくなるためのくすり)の本格発売の日である。
ちょっと遠いが、サティンのいる薬店に行ってみることにした。
「よろしくお願いします!」
サティンの店へ向かう途中、黒髪黒瞳の美青年と、美少女が仲良さそうに歩いているのを見た。
乱華と緋陵姫と同じように恋人同士なのだろう。
「あら、乱華君」
サティンの朗らかな笑顔が二人を出迎えた。
その隣には闇主に良く似た黒髪の男が、エプロン姿で佇んでいた。



サティンの経営する薬店にやってきた乱華と緋陵姫。
店の中にはいつものように白衣姿のサティン。
そして見知らぬ青年がいた。
「…サティンさん、その方はどなたでしたっけ?」
「乱華君は会うの初めてだったかしら。この人は鎖縛。
お店の手伝いに来てもらっているの」
「……………………この女の下僕と言っても過言ではない」
その瞬間サティンのパンチが彼の腹部に見舞われた。
「ほほほほ。良い男でしょう」
その一瞬のやりとりで二人の関係が、見事に理解できた乱華と緋陵姫だった。
「魔法薬の方売れているか気になって」
「すごい売れ行きよ。もうあと少しで全部売れてしまうわ」
サティンが示した棚には数本のビンが残っていた。
ビンの中には淡い青色の液体が、入っている。
「この調子だともう少しで借金が返せそうです」
「もうすぐラスも肩の荷が降りるわね。」
さりげなくきつい一言を放つ女性である。
「今日の分の売上げ渡しておくわね」
サティンから乱華に茶封筒が手渡された。
試験的な発売の時もそうだったが、製造者への配当は売上げの
10パーセントということになっている。
中を覗くと数枚の紙幣と小銭が入っていた。
「ありがとうございます」
乱華はサティンに言って店から出たのだが、
「乱華君、ねえ隣の子は彼女?ラスに似ているわね」
サティンが緋陵姫を凝視していた。
「初めまして緋陵姫と云います」
「緋陵姫さんってすごくラスに似ているから、親しみ沸いちゃうわ」
「はあ」
「二人ともまた来てね!」
ぶんぶんと大きく手を振り、サティンは乱華と緋陵姫を見送った。
少し離れた場所から乱華がちらりと振り返ると、
サティンに扱き使われて走り回る鎖縛の姿が目に映った。
「乱華、今何時だ?」
唐突な緋陵姫の言葉だった。
「先程、サティンさんの所で時計を見たときは4時すぎでした」
「すまない乱華。今日はもう帰らなければ」
「そうですか。じゃあバス停まで一緒に行きましょう」
乱華は緋陵姫と少しでも長く一緒にいたかった。
今日、せっかく会えたのだから。
「ここで別れよう。次に会う時は私から封魔寺に行くよ」
緋陵姫は乱華に手を差し出した。
「はい。待ってます」
寂しい気持ちをこらえるように、乱華は緋陵姫の手を強く握り返した。
「またな乱華」
穏やかな微笑を残して緋陵姫は家路へと帰っていった。
乱華は名残惜しそうに緋陵姫の後ろ姿を見送った後、マンスラムの家へ向かった。


「いらっしゃい乱華君。ちょうどラスも来てるのよ」
マンスラムの家に来た乱華は壮年の女性に出迎えられた。
「え、姉上……ラスも来てるんですか」
「ええ。まあお上がりなさいな」
マンスラムに案内され乱華は家の中へと入った。
「乱華」
「姉上今日はどうして」
「私が電話でお茶に誘ったのよ」
「はあ…そうなんですか。返済のお金を持ってきたのですが」
「あらいつでも良かったのよ。でも来てくれて嬉しいわ。
ゆっくりしていってね」
マンスラムはティーポットからカップに紅茶を注いだ。
乱華は何となく居心地が悪かった。
自分は彼女の所有するアパートを粉々に破壊してしまった。
さすがに今は多少の罪悪感も持っていたりするのだ。
平然としている事なんてできるわけなかった。
「乱華君、アパートの事は気にしなくて良いのよ。
ちょうど建て替えようと思ってた所だったから、
壊してくれて却ってお礼を言いたいぐらいよ」
にっこりと微笑みマンスラムはさらっと恐ろしい事を言ってのけた。
乱華は唖然とするしかなかった。
姉のラエスリールは表情ひとつ変えない。
「姉上は驚かないんですか!?」
「お前がアパート壊した後、謝りに言ったんだ。その時に伺った」
「おほほ…乱華君のした事は衝動的だったけど別に何の害もないから。
本当にもう気にしないでね。お金ももう良いわよ」
乱華は一気に気が抜けた。
今までしてきた努力は何だったのか。
「あはははは」
「ら……乱華大丈夫か?」
「何とか。もう帰ります」
乱華はよろよろと立ち上がり部屋の壁に何度もぶつかりながら玄関の方に歩いていった。
「またいらっしゃいね〜〜」
明るいマンスラムの声が追いかけてくる。
もう二度と来たくないと思った乱華であった。
残った二人はまだ語り続けていた。
「今まで返してもらったお金はすぐに渡すわ」
「あれはこっちが悪いんですから返して頂くわけにはいきません」
「ラスと乱華君のものを預かっていただけなのよ。
さあ持って行って」
マンスラムは引き出しの中から袋を取り出し、ラエスリールに渡した。
「ありがとうございます」
「乱華君も反省してるようだし良かったわね」
「そ、そうですね」
ラエスリールは苦笑いを浮かべた。
「チェリクが生きていたらどんなに喜ぶかしら」
マンスラムは遠い目になった。
「母さま……」
「ラス、いつでも来てくれると嬉しいわ。
顔を見せてくれるのが嬉しいから」
マンスラムは寂しげに微笑んだ。
「ええ必ず。マンスラム様」
ラエスリールはマンスラムの家を出た後、そのまま帰宅の途に着いた。
「お帰りなさいラス。乱華君、帰ってきてから部屋に閉じこもったきり
出てこないんですよ。そろそろ夕食なので呼んできてください」
庭で野良猫と戯れていたセスランが出迎えた。
寺の中へ入ると邪羅が、一人ポツンと佇んでいた。
「あっ姉ちゃんお帰り〜」
邪羅はラエスリールに抱きつかんばかりの勢いで駆け寄ってきた。
「ただいま。夕食だから乱華を呼んで来るよ」
「俺が連れてきてやるから姉ちゃん先に台所に行ってて」
「ありがとう邪羅」
邪羅は乱華を呼びに彼の部屋に向かった。



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