第三話
乱華は花屋で花束を買った後、緋陵姫の家に 到着した。
今日こそはプロポーズするぞと心に決めて。
2、3日前緋陵姫の家を訪れた際、彼女の母翡蝶にありったけの罵詈雑言 を投げられた。
『この娘より2つも年下のくせに』『借金だらけなんですってね』
等など。返す言葉が見つからない乱華であったが、
緋陵姫が翡蝶を咎めてくれたのと、
緋陵姫の伯母識翠が助け舟を出してくれたおかげで、 何とか乗り切ることができた。
最初の勇気を振り絞り、チャイムに指を伸ばした。
ブザー式のチャイムのようだ。ブーという音に続き女性にしては低めの声が返る。
「緋陵姫さんいらっしゃいますか?」
「あ、はい」
「乱華か?今開けてやるから」
中で呼び出しの電話に出たのは識翠らしい。
乱華は少しほっとした。
「いらっしゃい」
「乱華…私の部屋へ行くか」
識翠が呼んでくれたのだろう。緋陵姫が玄関にいた。
「はい」
嬉しそうに乱華は笑った。
二人で二階への階段を上がり緋陵姫の部屋に着いた。
8畳程の広さの部屋に、テーブルとソファーが置いてあった
。窓際には 小さな観葉植物。シンプルという表現がぴったりはまる。
「そこのソファーに座ってくれ」
乱華はソファーに座るよう勧められた。
だが緋陵姫は部屋から出ようとしていた。
「お茶入れてくるよ」
乱華は緋陵姫の手を掴んだ。
離れたくなかった。
「お茶なんて良いですから。一緒に座りませんか緋陵姫?」
「…お前にはかなわないな」
緋陵姫は乱華に誘われるように隣に腰掛けた。
乱華は緋陵姫を縛するように見つめていた。
「綺麗な部屋ですね。物がなくて淋しいような気もしますが」
「ごちゃごちゃしてるのは嫌いなんだ。
あまり物がない方が落ち着く」
「緋陵姫らしいですね。この部屋の雰囲気何だか私も落ち着きます。 ずっとここにいたいくらいです」
「おかしな奴だなお前は」
「そうかもしれません。そんな男と付き合っているのもあなたですよ」
乱華は悪戯っ子のような顔で微笑む。
「受け取ってください。あなたに似合いそうな花を見つけたんです」
見つからぬよう背中に隠していた黄と赤の花束を緋陵姫に手渡した。
「ありがとう、嬉しいよ」
緋陵姫はぽろぽろと涙を零した。
嬉しくて嬉しくてたまらない。
「………私と結婚してください緋陵姫」
照れながら最後の勇気で乱華は言った。
「ああ私もお前と一緒にいたい」
躊躇なく緋陵姫は答えた。
互いに見つめ合った後、乱華は緋陵姫を掻き抱いた。
なくしたくないかげがえのない女性。
思い描いていた幸せを彼女となら作れる。
乱華は温かい気持ちに包まれていた。
長い長い静寂。穏やかな時間。
時間を忘れて二人は抱きしめあっていた。
トントントントントン。
誰かが階段を上がってくる。
ノックもなしに扉は開けられた。
鍵を掛け忘れていたらしい。
「鍵掛けるの忘れるなんて抜けてるな、お茶持って来たぞ」
何というタイミングだろう。
まるで計っていたようだ。
その証拠に識翠はどこか楽しそうだ。
慌てて二人は体を離した。
「ありがとう伯母上。素晴らしいタイミングで」
緋陵姫は少し恥ずかしそうに笑った。
「乱華お前に電話だ」
識翠は無造作に子機を放り投げた。
何とか乱華はキャッチする。
「あ、ありがとうございます。」
誰からだろう。一応行き先は告げてきたのだが。
「お前何やってんだよ」
「!」
その声は姉を慕っている邪羅のものだった。
なぜ彼が電話を掛けてくるのか。
「俺は嫌な目に合ったんだよ。お前が帰ってこないから」
「どういうことだ!」
不愉快な言いがかりをつけられて乱華はムッとした。
「姉ちゃんに会いたくて寺に行ったら兄ちゃんが先に来てて」
「あの男が!」
「早く帰ってこないと姉ちゃんが………」
プツッ・・・・ツーツーツー
「あっおい!」
早く帰らなければならない。姉を魔の手から守らねば。
乱華の表情は一変して険しいものになった。
「そろそろ帰らなければいけないんです」
乱華はすまなさそうな顔をした。
「わかった…私も一緒に行こう」
「嬉しいです。じゃあ一緒に行きましょう」
二人は手を取り立ち上がった。
「出かけるのか緋陵姫?翡蝶が帰るのは7時だぞ。 それまでには帰ってこいよ」
識翠はそう言って二人を見送った。
緋陵姫の家から10分程歩いた所にバス停はある。
乱華は緋陵姫と共にバスに乗るのは2回目だ。
「お前は本当にお姉さんが好きなんだな」
「あなた以外で唯一大切に思える人です。小さい頃から姉を守ってきました。
どんな害も及ばぬように……だから」
優しく緋陵姫は微笑んだ。
「緋陵姫…………」
乱華は緋陵姫の手を握った。緋陵姫も強く握り返す。
それきり二人は沈黙した。
あっという間に封魔寺がある終点に着いてしまった。
バスから降りると乱華は緋陵姫の手をつなぎ走り出した。
坂を越えれば封魔寺だ。
「待っててください姉上ーーーーーーーーー!!!」
封魔寺ではセスランが庭を掃いていた。
「そういえばサティンとあの青年どうなりましたかねぇ」
「乱華君も近頃楽しそうですし、恋人の女の子はどのような人 か見てみたいような……うん?」
坂を駆け上がってくる乱華の隣に女性が見える。やがて。
「セスランさん久しぶりです!お変わりになられませんね」
緋陵姫がセスランに親しげに声を掛けた。
「こちらこそ久しぶりですね。お母様はお元気ですか?」
「お陰さまで母も何一つ変わっておりません。
それより、 また本書いてくださいね。なかなか好評なんですよ」
「お褒め頂き光栄ですよ。今新しい本を書いております。
物語なんですが、 良かったらまた置かせてください」
「ええ喜んで」
緋陵姫はセスランにペコリと会釈をした。
「セスラン殿、本はどのようなものを書いてるんでしょうか?」
興味深げに乱華は尋ねた。
「書いたのは赤、白、黒の魔道書三冊です。
一番新しいのは黒の魔道書ですね。
全部翡蝶さんと緋陵姫さんのいる図書館にありますよ」
のほほんとセスランは言った。
「まさかこんな近くに魔道書の著者の方がいたなんて!
セスラン殿が…。
3冊とも読みましたっ。黒の魔道書は特に最高でした。
新たな力を手に入れる 秘術は参考になりました。
是非弟子にさせてください!」
乱華は真剣だった。
その証拠に緑瞳には熱がこもっている。
「良いでしょう。明朝9時ちょうどに私の自室に来てください」
「はいっ!!!」
乱華は即答した。
乱華と緋陵姫は表口に回って観音開きの扉を開けた。
広い玄関から真っ直ぐラエスリールの部屋に向かう。
乱華は客室の扉を思い切り開けた。
「!!!」
乱華は眼を見開いた。緋陵姫は冷静そのものだったが。
畳の部屋の床には純白の髪の男がぐったり横たわっていた。
手には電話の子機を持ったままうーんうーんと唸りながら苦しそうに。
目的の姉ラエスリールはベッドに横たわっている。
何とその隣には憎き赤男が添い寝しているではないか!
「さ、最悪の事態だけは何とか免れたようだ」
「最悪の事態???」
乱華の言葉に緋陵姫は微かに首を傾げた。
「…とりあえず、床でのたうちまわっている奴を 起こさなければ。
危険なのでそこにいて下さい!」
乱華は3歩程進み、邪羅に向けて波動を打ち込んだ。
家具や部屋に被害が出ないよう本気の10%に抑えて。
「うげッ!」
邪羅は奇妙な呻き声を洩らした後、ピクリとも動かなくなった。
さすがに乱華は青ざめた。
「まさか……。殺すつもりはなかったのに」
「………人を勝手に殺すんじゃねぇよ!」
邪羅は頭を押さえて、ゆっくりと立ち上がった。
「おや残念だ。生きてたのか。ところでこの状況は何だ!」
語気荒々しく乱華は言った。
「俺は姉ちゃんに花を持ってきたんだけど、寺の中に入る直前、兄ちゃんが現れて、
『良いもん持ってるじゃないか!これから始まる俺とラスの甘い時間の良い
演出になるな……さっさとよこせ!』なんて言いやがって」
疲れたような青ざめたような顔で邪羅は言った。
「花を取り返そうと追いかけて姉ちゃんの部屋まで行ったら、
兄ちゃんに容赦なくやられたんだよ。後は見ての通さ」
「………………………」
乱華は拳を握った。
「一緒に寝てるのは先に姉ちゃん眠らせたんだろう」
邪羅はちらと二人が眠るベッドの方を見た。
「あの男、どこが甘い時間なのだ。姉上の意思も構わず姑息な手段で。
決して許すわけにはいかない」
「そうだな、彼女が起きていた上では、問題がなかったかもしれないが。
仕返しをしねばなるまい」
「おお姉ちゃんに似てるあんた、話がわかるなあ。
よし、ここはひとまず3人で作戦を練ろう」
邪羅は満面の笑みを作って言った。
「仕方がない。ここは力を合わせるしかないな」
乱華はさらりと髪をかきあげて、緋陵姫を見つめた。
「私はあの男のことをよく知らない。とりあえずどんな奴か教えてくれるか?」
こうして『赤男に痛い目見せよう』作戦会議は始まった。
赤男こと闇主が実は眠ってなどなく、3人の会話を聞いているなど知る由もなかった。
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