***エピローグ***


時流の遡りに身を任せているうちに、ある筈の無い記憶が流れて来る。
一瞬その記憶の奔流に意識が飛びそうになり――。
気が付くと、森の中にいた。
鳥のさえずりが聞こえる。
木々の隙間から、山の麓に街が広がっているのが見えた。
自分はどうやら自分のいるべき『現在』に戻ったようだが、なぜこんな所に出てしまったのか分からない。
すぐ近くに湖がある。
半ば誘われる様にそこに転移した。

「お父しゃま、お父しゃまっ!!」

転移するなり三、四歳ほどの幼い子供が飛びついて来た。
ずいぶんと強い力を秘めている魔性の子供だ。
真っすぐな漆黒の髪は肩に届くか届かないかの所で綺麗に切り揃えられている。
瞳は夕日を映したかのような、燃える様に美しく鮮やかな朱橙色だ。
ぐすぐす泣き出して、自分の足下にしがみつく。
大きな瞳が涙を溜めながらじっと自分を見つめている――その朱橙色には魅了の力が宿っていた。

「お父しゃま、ご免なさい、イリアどこにも行かないって約束したのに、お魚しゃんに会いたいって思ったら、ここに来ちゃったの......」

やれやれ、と口元に笑みが浮かんだ。
幼子を抱き上げる。
面白い事に、愛しさが込み上げて来た。
この娘から感じ取れる自分の気配にではなく、ラエスリールの気配ゆえに。
魔性は生まれた時から力の使い方を知っているものだが、どうやらそういう不器用な所は母親似らしい。
転移もろくに出来ないとは。
苦笑が漏れる。

「お父しゃま......?」

少し離れた所に、懐かしい朱金の気配を感じる。
イリアを抱いたまま、足は自然とそちらの方に向かっていた。

「闇主!」

眩しい太陽が現れたのかと思った。
思わず目を細める。
美しい朱金を纏って走り寄って来るのは、彼の唯一選んだ――。

「よかった、イリアを見つけてくれたんだな」

「お母しゃま......ご免なさい、イリア、まだ転移が上手じゃないの」

「いいんだよ、イリアはこれからいっぱい練習すれば良いんだ」

ほっと息をついて優しい笑顔を見せるラエスリールが眩しい。
あまりにも懐かしくて、愛おしくて、気が付くとイリアごとラエスリールを抱き寄せていた。
色違いは色違いだが、今は琥珀と朱金の双眸が、不思議そうに自分を覗き込む。
そして気が付いた。
自分の左目が、隻眼ではなく、かつてラエスリールの左の眼窩に嵌っていたそれに変わっている事を。

「闇主、どうしたんだ? なんか珍しいものを見るような顔をしているぞ?」

そうだ、先ほどの記憶の奔流の中にもあったではないか。
『茅菜』と出会ったラエスリールが深紅の瞳を差し出した、記憶が。
痛みに意識を失いながらも、幸せそうな顔をしていて。

「......何でもない」

その後再会して、お互い息も出来ないほど抱きしめ合った。
二人でこうして共にあれる事が信じられなくて。
どんなに強い抱擁でも、どんなに深い口づけでも、お互いを感じ合う事が出来ず。
互いを隔てる衣服さえ厭わしかった。

「何でもないって顔じゃ......」

二つの魂が欲するままに、与え、受け入れて。
そして焦がれ続けた魂が自分のそれに重なった瞬間――。
二人は無上の喜びの中にいた。
そうして初めて、気の遠くなる時間を一人で生きて来た魔性の王は、満たされる事を知ったのだ。

しばらく目を閉じて新しく染み込んで来た『記憶』に浸った。
自分はその『記憶』を経験しなかった者であり、同時に経験した者であった。
不思議な感覚だ。
ラエスリールにとって、自分は常に傍にいた者であり、自分は今初めて『このラエスリール』に会った者なのだ。
だが『記憶』の奔流が、あたかも自分の時の空白を何の違和感もないように、時間軸の直線上にぴったりと繋げる。
それを為したのは他でもなく、自分の腕の中にいる愛しい女だった。
そんな彼女の額にそっと口づけた。
ラエスリールの動揺する気配が伝わる。
いつもとは違う自分に何かを感じ取っているのが分かる。

「......闇、主......? 私達はやっとお前の時間に辿り着けたのか......?」

それの意味する所は明白で。
どうしてこうラエスリールという存在は、極度に鈍感ながら妙な所で敏感なのか?
知らず、口元に笑みが浮かんだ。
いつもより随分と言葉数の少ない深紅の青年の背中に、スルリと細い腕が回った。

「これは......お前の望んだ未来か......?」

ラエスリールと共にあり、血を分けた娘がいて。
育んだそれが絆と呼ばれるものなら、自分は大層なものを手に入れたという事だ。
二人を抱きしめる腕に力がこもった。

「お前は相変わらず鈍いな」

「......またそうやってひねくれる」

ラエスリールただ一人を望んだのは確かに自分だった。
だが世界を変えたのは一体誰だったのだろうか?
自分一人ではあるまい。
ラエスリールも、周りの友人達も、他の人間達も、魔性達も、世界の存在全てが。
自分は全ての想いに同調した、ただの『駒』ではないのか?
それが形となって茅菜を過去に送り出し。
自分は云わば、世界の想いの鍵になったに過ぎない。
あるいは、ラエスリールという運命の娘を、より一層輝かせる為の――。
それでもいい。
闇主は思う。
そんな理由で自分という存在が生まれたとしても、今ラエスリールと自分が二人共に幸せならば。
それで十分ではないか。

「それで今回、あの街に何の用なんだって?」

山の麓に広がる街には、数匹の妖鬼の気配がある。
力を拠り所とする魔性達が滅びて以来、ラエスリールは魔性の命を手にかける事を執拗に拒む様になった。
魔性に対する認識が、ずいぶんと変わったからかも知れない。
魔性とて心があり、魂を携え、一つの存在なのだ。
ちょっとした『説得』で人間との共存は容易くなる。
そういう意味で、依頼が入ると、彼女の魅了眼は強大な威力を発揮した。
もともと余程の事でも無い限り、ラエスリール自身、殺戮は好まない性格だったので、紅蓮姫を失った今、この仕事は半人半妖の彼女に取って、実に適正だと言えよう。
それでも危険は付き物だ。
獰猛な魔性はどこにでもいるし、聞く耳を持たない魔性も存在する。
中には、出会った瞬間攻撃して来る輩もいる。
そういう時の為に、自分が結界を張るなり何なり、彼女を護っている訳だが。
何にせよ、自分の口とラエスリールの魅了眼で、大抵の魔性を諭す事は可能であった。
だがそれだけが全てではないので、やはり浮城は存続し続けている訳だが。

「サティン達がたまたま仕事で来てるんだ。 そうだ闇主、イリアは未だ擬態が出来ないから、街に入る前に気配を調整してくれないか?」

「ん......ああ、そうだな」

ちょうど自分の深紅と、ラエスリールの金を混ぜたような明るい朱橙色の瞳は、人間には顕われない色だ。
すっとイリアの額に二本指をかざす。
たちまち幼い娘の瞳の色は、『いつもの』若草色に変わり、気配も人間の子供のものになる。
娘の瞳がこの色だと、いつも自分が黒髪に青い目の人間に擬態した際に、変に疑われる事もない。
イリアを見て気軽に話しかけて来る街の夫人達などは、『ご両親の瞳の色を半々に受け継いだような綺麗な緑色ねえ』とよく口にする位だ。

「イリアは、瞳の色が緑だと、本当に母様そっくりだな」

にっこりと笑うラエスリールの表情は、娘が生まれて実に柔らかくなった。
ラエスリールだけではなく、自分もきっと気付かないうちに変わっているのだろう。
不変のものなど存在しないと、誰よりも時空を知る自分が知っているはずなのだから。

「あいつらが来るってことは、またくだらない用じゃないだろうな?」

「くだらないとは何だ、久しぶりの再会なのに。 今回はサティンがイリアに会いたいって言うから......」

「やっぱりくだらないじゃないか」


イリアは幸せそうな二人を見て思った。
イリアは綺麗で強くて頭のいいお父しゃまと、綺麗で強くて優しいお母しゃまが大好きなのだ。
この二人の仲が良いと、イリアも自分の事の様に嬉しい。
二人の間で抱きしめられながらイリアは願った。

ガンダル神様......どうかイリアが、大好きなお父しゃまと、お母しゃまと、ずーっとずっと一緒にいられます様に。

そんなイリアの気持ちを見透かした様に、目元を和らげたお父しゃまの大きな手が自分の頭を撫でたとき、前髪が邪魔して目を瞑ってしまった。
だからその時交わされた二人の口づけに、イリアは気付く事はなかったのだ。
次に目を開けたとき、輝かしい笑顔を自分に向けるお母しゃまが目に入った。
だから嬉しくてイリアもにっこりと笑った。
優しい時間が続けば良いと思った。


***終***


2009.3.13

はい、かなり妄想入ってます(笑)
今までの話と伏線を考慮したら、ラストはこんな感じかな......と。
雰囲気壊してしまったら、済みません。


ということで、ラバ様から頂きました最終回予想小説です(><)
まるで本当の最終回かと思うほどうんうんと納得してしまいましたよ(><)一度渡した瞳を返せとは
言えない〜というのが闇主らしいですしっ!
ラス様の瞳も、今も力があるけど前ほどは〜というので、ああ、なるほど闇主さんの瞳じゃなくなったからと。
雰囲気ぜんぜん壊してませんよっむしろ素晴らしいです(><)
ラバさん、本当に素敵な小説を有難うございましたm(__)m

後記担当 ちな

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