恋蕾




 考えれば考えるほど追い詰められる。
 どうすればいいのか。



 追手に追われるようになりどれだけの月日が経ったのか。詳しく数えているわけではないが、それでも随分と時間が経ったように思う。
 ラエスリールは宿屋のベッドに座ってぼうっとしていた。
 連れはいない。
 街に着くなり自分を放り出してどこかに行ってしまった。
 よくあることだから気にしても仕方ないのだが、それでもやはり相手がどこに行っているのかと思ってしまうもの。でも訊いたところではぐらかされるのが分かっているから、未だに彼がどこに行っているのかを訊いたことはない。
 傍にいないと少しだけホッとする。
 例の心臓発作が起きないから。
 彼の視線を感じるだけでバクバクするこの原因不明の症状はどうしても治らない。
 いや、原因は分かっているのだ。闇主さえ傍にいなければいいのだから。けれどその原因である彼から離れる事ができないから結局は治らないのだ。
 しかしどうしてこんな症状が出るようになったのか。
 闇主に見られる事なんて今に始まって事でもなかろうに。
 なんせ浮城にいた頃は他の護り手を近付けないように術をかけていたぐらいだ。どこかでその様子を見ていたに違いない。護り手になった後は、用もないのに傍にいたし。
 こんな状態になったのはあいつがしばらく自分から離れた後からだ。
 翡翠の妖主。彼女と対峙する事になった、あの時から。
 ……けれど彼は茅菜として傍にいたような。
 でもあれを闇主と取ってしまっていいのかどうか。
 ともかく、そんなに離れていた気もしないし、見られる事には浮城にいた頃はいつものことだったわけで。
 本当に、何がきっかけなんだ。
 はあっと息を吐いて、ぼすっとベッドに倒れこむ。ギシギシとベッドが軋み、綺麗に壁紙が貼られている天井が目に入った。階下から声が聞こえる。確か、真下は食堂だったはず。食事の時間にはやや早いが、それでもそれなりに客が来ているのだろう。
 それにしても、追手がいないと逆に気が抜けて困る。
 余計な事を考える暇ができてしまうから。
 不安を、覚える。
 闇主が傍にいないので発作は起きない。それはいいが、不安は残る。
 そう、一人でいると安心するよりも不安になる割合の方が多いのだ。
 この状態で追手が来たら対抗できるだろうか。
 自分一人で魔性相手に戦えるのか。
 他の人に被害が及ばないようにできるのかどうか。
 朱烙としての自分を受け入れても、体が魔性のものだとしても、自分は魔性の力を操りきれるわけではない。傷を治す事ができるのは他人だけで、自分の傷は治せない。他にも色々、自分だけでは足りない部分が多い。
 いかに彼を頼りにしているかが身に染みてわかる。
 自分はまだ無力に近い。浮城にいた頃からなんら進歩はない。
 彼がいないと、駄目なのだ。
 自分一人じゃどうしようもない。
 一人じゃ、何もできない。
 傍にいて欲しい。
 彼が愛想を尽かしても仕方が無いようなことをいっぱいしているくせに、そう望むのはわがまますぎるだろうか。
 見捨てられて当然のことをたくさんしているのに。
 どれだけ呆れられたか。
 どれだけ叱られたか。
 それでも傍にいてくれたから、これからも傍にいてくれると思ってはいるが、でもそれは自分の感情だから。
 だから、離れていったとしても責められない。
 だけど、離れていったらきっと怒ってしまう。
 どうして見捨てるんだと怒ってしまうんだろう。
 自分でも呆れるぐらいわがままだ。
「本当に、どうしようもない……」
 いつからこんなになったのだろう。
 しかも傍にいて欲しいという感情は、無力だからという理由だけで来るわけではないのだ。
 寂しいのだ。
 彼のいない時間を過ごしていると無性に寂しい。
 傍で、自分を見ていて欲しいと思う。
 彼に見ていて欲しいと思っている。
 一方で見ていて欲しくないくせに、もう一方で見ていて欲しいと望んでいる。
 なんでこんなややこしいことになっているのだ。
 どうして、彼でないといけないのだろう。
 傍にいてくれる人は、他にもたくさんいたのに。
 それはサティンやセスランさまやリーヴィや邪羅……いっぱい、いたはずなんだけど。
 大切な友人でもなくて。
 血を分けた弟でもなくて。
 選んだのはあの妖主。
 わがままで自由奔放で天邪鬼で………とてもではないが、付き合いたいと思うような性格の持ち主でもないはずなのに、自分は彼しか選べなかった。
 理由は……。
 理由?
 そんなの、どこをさらっても出てこない。
 理屈なんて関係ないのだ。
 ただ、彼しか選べないだけ。
 彼がいい。
 彼じゃなければ駄目だ。
 彼以外は嫌だ。
 彼がいないと自分が自分でいられなくなる……
「…なんで」
 思えば思うほどにちらちらと頭に深紅が浮かぶ。
 それにイライラして他のことを考えようと思うのだけど、そうしようとすればするほど余計に深紅で埋め尽くされていく。
 彼のことしか考えられなくなる。
 どうして、こんな。
 こんな、切なく……
 泣きたいほどに切なくて、苦しくなる。
 つい数時間前まで傍にいたじゃないか。
 たった少し離れただけで、どうしてこんなに。
 居ても立ってもいられない。
 会いたい。
 ただ、会いたい。
 それだけなのに、胸が掻き乱される。
 会いたい。
 顔が見たい。
 声が聞きたい。
 肌に触れたい。
 傍にいて。
 今すぐここに来て。
 名前を呼んで。
 その深紅を確かめたい。
「……闇主」
「なんだ?」
 呟きに答える声があり、がばっと体を起こした。部屋の中にはどこかに行ったはずの深紅の青年がいて、こちらを見ていた。
 その視線にドキドキする。
 いつもの症状ではなくて。驚いたからでもなくて。
 心の中を見透かされているような感じがして。
 それがとても恥ずかしくて。
「なんかあったのか?」
「いや、別に……」
「………用がないのに呼ぶな」
「仕方ないだろ! だって!」
 だって。
 その後の言葉は飲み込んだ。
 言えるはずがない。「会いたかっただけ」なんて。
 彼がゆっくりと近付いてくる。ベッドに座っている自分の前に来て、立ち止まる。指で顎を掴まれ、視線を固定された。闇と見紛うばかりの深紅の瞳に自分が映っている。
「『だって』?」
 ニッと笑うその顔に、一気に顔が赤くなった。
 顔を横に向けようとしたが顎を掴まれているので叶わず、目だけ横を向く。
 それでも視界の隅に彼の顔は入っていた。
「知らん!」
 大声で言うが、効果はない。
 闇主は実に愉しそうな顔をしていた。
「自分の気持ちだろう?」
「知らんものは知らん!」
「なんで俺を呼んだ?」
「知るか!」
「耳まで赤くなってるぞ」
「〜〜〜っ! ほっとけ!!」
 子ども染みている。
 薄っすらと涙が浮かび始めた。
 訳の分からない感情に振り回されて、心を掻き乱されて、会えて嬉しいはずなのに気恥ずかしくて。
 ああもう、本当に何が起こっているんだ。
 大声で喚きたくなる。
 この幼い子どものような気持ちは何なのだ。
 そっと顎を掴んでいた手が離れた。おや、と顔を彼の方に向けると肩に手をかけられてそのままぐっと後ろに押し倒される。
 ベッドの上に逆戻りだ。
 悲鳴を上げるベッドも、軋む音もシーツの匂いも階下の騒がしさも変わらないのに、視界には天井が入っていなかった。
 代わりにあるのは、奇跡のような美しさを持つ妖主の顔。
「闇主?」
 ちょっと顔が近すぎる。
 心臓がバクバクして、耳の中が心音でうるさい。
 彼は何も言わずに両目に溜まった涙を唇ですすった。
「あ、あああっ!」
 名前を言いたいのだが、ますます心臓がバクバクして、言葉が言葉にならなかった。
 闇主はしばらく自分を見下ろした後、彼自身の体を支えていた彼の腕を自分の体に回して抱きしめてきた。天井が見えるようになったが、耳元に彼の唇があって落ち着かないのは変わらない。
 髪が頬に触れてくすぐったかった。
 クッと彼が笑う。
「心臓、すごいな」
「〜〜〜っ!」
「……………あんな声で呼ぶな」
「闇主?」
「あんな、」
 低い声。聞き惚れるような美声で少し苦しげに彼が言う。
 囁かれる声に艶がある。
 顔どころか全身が熱くなってきた。
「……本当に、とんでもない」
 クツクツと。
 どこか自嘲気味な笑い声が聞こえる。
「お前だけだよ」
「何が?」
「なんでもない」
 笑い声と共に頬に柔らかい何かが触れた。
 それが何かを確認する前に、耳を甘く噛まれる。
「ラエスリール」
 聞こえた声にぞくっとする。
「闇…主……?」
「少し目を閉じてろ」
「?」
 何故そうしないといけないのかは分からなかったが、とりあえず言われたとおりに閉じてみた。
 直後に今度は唇に柔らかいものが。
 それが何なのかを見たくて目を開けたが、その頃にはそれは離れていたし、目の前に彼の顔があったのでそれどころではなかった。
「……何?」
「安心したか?」
「え?」
「泣きそうな声だったからな」
「……………闇主は、これからも傍にいてくれるよな?」
 訊くと、彼は呆れたような顔をする。
「お前は本当にバカだな」
「! どうせっ」
 途中で彼の指が唇に触れ、続きの言葉を押さえ込まれた。
 なんとも言えない光を称えた深紅の瞳がそこにある。
「離れるわけ……………………離れられるわけないだろう? こんなに…」
 顔が近くなった。
 また、唇が柔らかいもので塞がれる。
 その感触が心地よくて、自然に瞼が下りた。
 きつく抱きしめられる。
 唇に触れたそれは軽く触れただけであっという間に離れ、目を開けるとやはり、彼の顔がある。
 彼は笑みを浮かべて、再び耳元に唇を近付けた。
 そしてそっと囁くのだ。





「こんなに……自分でも呆れるぐらいにお前に捕らわれているんだからな」





前回シリアスな長めの小説を贈らせていただいたのですが、やはり折角の起こし祭なのでらぶらぶなssを〜と思い書かせて頂きました。
……甘すぎました;普段より糖度100%増しです。書いていて自分が恥ずかしかったです。
と言うか、もはやゴーストライターが書いたとしか思えないほど前回の作品と差が有るような。。。
しかもなんかすごい体勢のまま終わってます。なんでこんな事に……(滝汗)
(どうも私がこういう小説を書くと、8割方、闇主さんが暴走する模様です)

これから先の展開はご自由に想像なさってください……(微笑)


ということで碧さんから頂きました小説ですーvv
お と め なラスさまですーvvvもうもうまーさーに恋する乙女ラス様!!
もういい!!そこまで分かっていてもまだ無自覚なところがいい!のですvv
そして、闇主さんっ 少し目を閉じてろってvvvもうもう、す て き ですよ!!
ノックアウトですv

失礼しました(こんな後記ばっかりで申し訳ないです;)。

ということで、砂糖菓子のように甘くてほーとなる素敵らぶらぶ小説
有難うございましたm(__)m


後記担当 ちな

碧さんのサイトへはこちら→「der Spazierweg

背景素材提供「700km」様